2019年4月13日土曜日

心因論 推敲の推敲 3

現代において心因論はいかに変化を遂げたか?

以上に掲げた半世紀前の「心因反応」の三種類の病態について、現在ではどのように扱われているかを論じるのがこの章のテーマである。
まずストレス反応の二種は、DSM-5にカテゴライズされている「心的外傷およびストレス因関連障害群」に類似していることはすぐ見えて取れるであろう。それでは前者がそのまま後者に継承されたと考えていいのであろうか。この「心的外傷およびストレス因関連障害群」には適応障害などの比較的軽症なストレス反応と、PTSDASD(急性ストレス障害)などのより深刻なストレス反応が属する。このうち適応障害のほうを考えるならば、これが一番「心因反応」に近いことがわかる。この適応障害のDSM-5の定義は切り詰めるならば以下の通りとなる。
A.明らかなストレス因に反応して,3カ月以内に症状が出現する。
B.そのストレス因に不釣り合いな程度の苦痛や社会機能の障害が見られる。
ただしBに関しては、その程度が十分に深刻であれば、他の診断に移行することになる。そこで少なくともAについてはおおむねJaspersの「三原則」を満たすと見て差支えないだろう。
そこでPTSDASDDSM-Ⅰの「著名なストレス反応」に相当するといえるのだろうか? 実はそうとは言えない事情がある。そのためにはPTSD概念の歴史に遡らなくてはならない。PTSDの概念が精神医学において正式に認められ記載されるようになったのは1980年の米国のDSM-Ⅲと理解されている。それ以前は1900年代初頭の「シェルショック」や「戦争神経症」などの形で提案されていたが、十分認知されていなかった。半世紀前の「著名なストレス反応」はそれとは似て非なるものであったのだこれについては別書 (岡野, 2009) で既に詳しく論じているが、「著名なストレス反応」が「異常なストレスに対する正常の反応」と理解されていたのに対し、PTSDでは「正常範囲も含みうるストレスに対する正常とはいえない反応」と理解されるからである。ここで「心因反応」の定義を思い出そう。それは「正常な心がストレス因により正常の心理的な反応として呈した状態」であった。さらに言葉を継ぐならば、現代におけるPTSDの臨床研究においては、PTSDを生じやすい素因が考えられ、遺伝負因、先立つストレスの存在、身体疾患、薬物依存歴などが様々が見いだされている。いわば脆弱性を持った個人が罹患しやすいことが知られている。さらにはPTSDにおいて生じている神経生理学的、内分泌学的な変化も様々に論じられている。その意味ではPTSDはより内因性疾患の様相を呈しているとも言えるのである。
次に神経症についてである。米国での精神分析全盛期は1970年代には去り、DSMに与える影響も極めて限定的になっている。しかしそれにより神経症を「心因反応」として理解する傾向が強まったかといえばそうとも言えない。様々な医療機器の発展や疫学的な調査が進み、神経症の病態はかなり可視化されるようになってきている。例えばパニック障害における内分泌系、神経伝達物質の異常、自律神経系の異常等の研究は数多く発表されている。また強迫神経症に関しても、眼窩前頭前皮質と尾状核の過剰な結びつき(”brain lock”(Schwartz, 2016 ) が唱えられている。その意味で神経症もまた内因性疾患としての理解に重きが置かれるようになってきている。