2019年4月10日水曜日

解離の心理療法 推敲 54


S先生:以前大学で、ある本をパラパラめくっていたら、僕の書いた「解離の構造」についてある先生がコメントを書いて、そのコメントで、「SM先生は統合を目指さない、とかっこつけて言ってるけれど、統合を目指ささないなんてとんでもない」っていうふうに、無茶苦茶叩かれてたことがあって(笑い)びっくりしたんだけど。要するに、ある意味では統合というのは、幻想としてつき走って行って、ある地点までいっちゃうというイメージもあるんだろうな、と思います。ということで、僕はもちろん統合全部を否定するわけではないけれど、ある書物なんかはもうほんとに一緒に融合させて一個にするんだという、まぁ西洋的な考えでしょうけれど、日本人にとっての解離っていうのは、どういう風に展開し、どういう方向へ向かって行くのが自然なのか、ということを考えながら臨床をする必要があるんじゃないかと思います。西洋風の合わないことをあんまりやるなというふうに思ったりもしないでもない、ということですね。愚痴みたいになっちゃったのですが(笑)。
フロアー3:私はクリニックの開業医ですが、私も統合はあまり考えたことないんです。そういう意味では先生方のお考えと似てるんだな、と思います。私たちは昔からずっとメーリングリスト等でやってたから思うのかもしれないのですが、私たちにもmultiplicityっていうか多重性っていうか、それをさっきは多面性とどなたかおっしゃったと思いますが、いまこうやって喋ってる私と、家にいる私、あるいは診察してる私、あるいは教壇に立ってる私、というのは、みんな違うわけですよね。でもそのことは意識して、コントロールしているわけです。ところが解離はそのコントロールを失った状態だと思っています。そしてそれを統合するかどうか、ということなんだろうと思います。私は交代人格の扱い方については、まず彼らが出てこられるということが、そこでの安心安全が確保され、安心感を持たれているからだと思うのですが、その時になぜこの人がこういうかたちで現れているのか、ということについての、まるで何か推理小説を読むようなストーリーというのを自分なりに、あるいは一緒に考えて話をしていくと、その人がその状態、その時代に受けておられない、あるいはその時代に満たされなかったものというのが明らかになり、治療者との関係や、ほかの人との関係のあり方のなかで、満たされていくものがあるように思うのです。それが満たされるようになってくると、子ども人格が大きくなるし、ある種、理想となっているようなかたちで大人になってきますと、自分らしく落ち着いてくるというか、そのようなかたちで年齢層がだいたい交代人格の方たちが同じになってくるのだと思います。私自身は「寝る」という感覚はあまりわからなくて、どちらかというとバリアが消えていって、それぞれの交代人格というのは、ジグソーパズルのピースであって、そのピースの溝みたいなものがなくなっていく、融けていく、というみたいなかたちのことが最終的な到達点じゃないかなと思っています。そしてそこからのことが、そういうかたちで生きていくということが、その人にとっての必要な本当の治療じゃないかなと思います。だから統合したとしても、そのまとまった感じになる、あるいは解離という機制を使わなくなった、その時点から、解離を使わなくて生きていくという風に考えています。先ほどはその以前出来ていたことが出来なくなってしまう、ということがあるっていうお話しもあったのですが、その状況でなるべく解離を使わないで生きていくということについて一緒に考えていこうっていうのが治療じゃないかなと思っています。
S先生:ありがとうございます。僕の患者さんは、解離が良くなったために芸術的才能がなくなったと嘆いてました。これは発達障害とかLGBTにも言えると思うのですが、ズレというか場所がないということが創造性につながるだろうと思います。あるいはパフォーマンスとか劇団にしても、いろんな障害者が出てきてcreativityを発すると思うんですけど、治療においては統合は置いておいて創造性を求めようという考え方もあるとは思っています。

O先生:このテーマについてなのですが、まず多重性の対になる概念として、私はずっと多面性ということを考えています。多面性は英語ではMultifacetedness、つまり割面 facetがたくさんある、つまり多面体を考えているのですが、私たちは普通多面的であって多重的ではないわけです。だからSK先生がこうやってお話をしている時に、携帯が鳴って先生のお子さんが、「今日の晩ごはんはどうしたらいいの?」と聞いていらしたら、「ちょっと待ってね、あとで連絡するから」とおっしゃるでしょうし、その時の先生は、途端にお母さんになれるわけです。この切り替えが瞬時に混乱なく出来るのが、多面的な心だと思うし、我々は普通そうなっていると思うんですよね。それが多重と多面の違いだと思います。存在者としての私とまなざす私というSM先生の分け方も、実はこの二つは常に存在していて高速に入れ替わることが出来るのですが、それがどちらかに固まってしまうような状態もあり、それが解離している状態と考えることが出来ると思います。そうだとしたら、そういうたくさんの面が、同時に存在できるような脳の機能を我々は備えていて、だから普通に生活が出来ているのだろう、と考えています。ところでもう一つ簡単にお話したいことがあります。私は多重人格の統合ということでいつも考えるのが、ヘンゼル姉妹のことです。ヘンゼル姉妹は日本ではあまり知られていませんが、アメリカにいるシャム双生児の、つまり二つの頭を持つ、ブリタニーとアビゲイルという姉妹です。小さい頃からずっとメディアに出てフォローされてるのですが、この二人がどうやって生きていくかというのは、すごく悩ましい問題です。私の患者さんに二つの人格が入れ替わりに出ていてお互いを眺めている患者さんがいらっしゃいますが、一人はある男性を、もう一人は別の男性を好きになって、どっちと一緒になったらいいのか、というのがわからないという状態なのです。その患者さんの将来を考える時に、やはりこのシャム双生児のモデルを考えてしまいます。この二人がともにハッピーになることは、なかなか難しいかもしれないけれども、どこかで二人が交渉をして、最終的にどうするかを二人で決めていかなくちゃいけないでしょう。そういう場を与えるのが、我々の治療かな、というふうにちょっと思ってこんなことを言いました。
フロアー4:開業している精神科医です。今日はありがとうございました。私自身が考えていることは神田橋先生が「心は複雑に、行動はシンプルに」とおっしゃっていることと同じで、心の中というのは基本的にごちゃごちゃしていて全然構わないと考えています。逆に心を一つにまとめようとすると、むしろ行動の方がぐちゃぐちゃしてきちゃうような気がします。それとは別に私がいつも考えていることは、どの精神科の疾患に関しても、マラソンレースで例えば100メートルダッシュみたいに最初に一気に走ってしまって、バタッと倒れてしまうような走り方しかできない人がいるということです。するとバタッと倒れてしまうのは頑張りたい自分に対して休みたい自分がすでに限界に達してしまうということですね。すると治療として先ほどSK先生がおっしゃっていたような、頑張りたい自分と休みたい自分というのが融合したとしたら、半分のペースでしか走れなくなってしまうということは起きると思います。でも状況によってペース配分を行い、ちょっと早めに走ろうとか、ちょっと疲れたから休もうとかっていう自由なペース配分が出来るようになるかもしれませんね。そういった行動のバリエーションが増えていくようなかたちの関わりというのが出来れば、それが統合なのかな、と思います。私はそのような単純なモデルを考えていて、それは走ることでもあるし、うつの治療でもあるし、統合失調症の方のそういった幻聴との関わりでもあるし、そんなことをちょっとお伝えしようと思いました。

SK先生:いまのお話、すごく共感できます。私は何よりもまず一番大事なことは、ここにいらっしゃる方はたぶん多重人格ではない、ということだと思います。私がいったん多重人格の方たちの臨床から外れたのは、いわゆる虚偽性経路により、つまり人格を偽っていた人たちとの関わりの中で、そのコミュニティを追われた、出入り禁止にされた、ということがあったのです。だからそういう状況とは違ってここに集まっておられる皆さんは仲間だと私は思っているので、ほんとにそれだけでまず素晴らしいということを一つ申し上げたいと思います。それと先ほどの多面的、多重的という話で、ほんとにそうだなぁって思ったんですけれども、じゃぁそのいわゆるその離散型行動状態パターンによる統合っていうのが起きにくい人たち、起きてない人たちがどのような状態にあるかということです。私は施設の子ども達をたくさん見てて、さっきあのSee Far CBTってやったじゃないですか、私たちはたぶんあれを見るとストーリーが見えるんですね。だけど、どんなに並べても彼女たちはそこにストーリーを見出すことが出来なくて、カードがバラバラに見えるんですね。そういう体験ってみなさんしたことがありますかっていうのが、その多重性の世界。でそれで彼女たちが例えばその、どういうふうに体験をしているかというと、やはりバラバラな体験をしているところはあると思うんです。バラバラな視点を持ってて、それこそピカソみたいにあっちから見た絵と、こっちから見た絵とが一緒になったのが彼女たちの世界、彼ら彼女たちの世界なんですよ。それを理解した上で私たちがそういう人たちをどのように支えていくかということなんです。
S先生:はい、ありがとうございました。もう時間になりましたのでまたみなさんぜひ来年も臨床をいろいろ考えながらご参加していただければと思います。本日はみなさんどうもありがとうございました。