2019年4月9日火曜日

解離の心理療法 推敲 53


SM先生: 解離性障害の患者さんの育った養育環境というのは極めて重要なテーマだと思うのですが、そこで養育者や治療者にまなざされることによって存在する私、というのがあると思うのです。その際に、その相手との近さだとかと遠さというのがあると思います。そしてたとえば、ある治療者はものすごく再養育的、というかお姉さんのような働きかけを行い、その中で人格同士がすごくエンパワーをして協力し始める、ということも起きるのでしょう。そして、先ほどS先生の治療の話を初めて肉声で聞いたのですが、わあ、この先生、私よりもヒーラーみたいだと思ったんです(笑い)。なんというか、そこに何かがあって、立ち上ってくるもの、入ってくるもの、それこそ場があり、というふうなその中で先生がどーんと構えておられて、何かその人の中で動いていくものがあるような、エネルギーの流れがある、という印象を受けました。まなざされることによって存在する私はいろいろなポジションを取るのです。すごく近くになり、指示的になるときもあるのですが、そういう時に心がけるのは、患者さんが自分で自分をまなざせるようになるのを助けることの重要さです。それが愛だと思うんです。愛とか愛情というのは、誰かのことを好きになるという愛ではなくて、私たちが生かされていること自体、生まれて、ここにこうやって生きていること自体が愛なのだという目で見ることができるようになったときに、、自分を愛おしい目で見ることが出来るようになり、そうすることで結局、発達が促されているのだと思います。これは私にとってはすべて生物学的なプロセスだと思います。トラウマ記憶は精神生理学的な爆弾みたいなものだし、私はその信管をいかに外すかということをもっぱらやってきました。その立場から、私は患者さんに生物学的なメタ認知的な回路を作るということを心がけているのだと思います。その場における近さ、遠さ、その中でまなざすこと、それが治療者の個性によってさまざまな形でありうるという風に感じました。
フロアーB:先ほどSK先生が、融合したらそれまでのことが出来なくなってしまった、という症例をお話しされましたが、逆に融合したことによって上手く良くなったっていう例があれば教えていただきたいのですが。それと統合をどう考えるかということですが、安克昌先生がお訳しになったパトナムの本を読むと、統合っていうのは人格構造の統合的、総合的統一化のことを指していて、融合fusion とは個々の人格同士の融合ってことだと書いてあります。そのあたりは先生方はどのようにとらえていらっしゃるのかということをお聞きしたく思いました。
SK先生: ご質問なさった方の気持ちは私もすごくよくわかります。人格たちは「統合しなきゃ」と言われたときにそれを恐れるということがあるのですが、彼らは融合を恐れているのでしょう。ですから統合ということの意味をもう1回ここで明確にしなくてはならないと思います。最初は統合を志向していたということについては、私はどちらかというと融合っていう方向性で考えていたので、そこのところで齟齬が生じていたかもしれません。統合が、連携とか協力し合うということであるとしたら、それは大変結構なことだと私は考えています。また統合することの良さについては、トラブルが起きなくなることですよね。いろいろなEPが存在する第三次解離からは、もう全く違うものだと考えた方がいいと思うんです。第二次解離までは、やはりANPがちゃんと機能しているわけです。ところがもうANPが耐えられなくなってしまって、第三次解離になってしまうのです。それはもう統合が出来なくなったっていう姿なのかもしれません。つまり第二次構造解離までは、なんとか統合出来ているかもしれないのです。そういう広い意味での統合を考えてはどうか。第三次解離を無理やり統合させようとすると、ものすごく危険だと私は思っています。第二次解離までではちゃんと人格状態達がよくわかって、そこにメリットがしっかりあって、それでその同意のもとに自然に融けるっていう融合が起きてくっていうことは、私はとてもいいことだと思います。実は私は構造解離理論で言ったら、第1.5次とか、第2.5次解離、という状態の方もいろいろ体験しています。そのあたりのところは、私達治療者側の捉え方だったり、トラウマ処理の進行具合や心理教育がどこまで進んでいるか、ということとの兼ね合いで判断される、とてもダイナミックなプロセスだと思うんです。また私は個人的には第三次解離のままで、つまりいくつかの人格が統合されずに存在していても、うまく行っている人をたくさん知っています。統合を急がないとすれが、その人のANPがきちんと機能しているのであれば、それでいいではないか、という気持ちがあるからです。私達には患者を傷つけてはならない、というヒポクラテスの誓いが頭にありますので、第三次解離の人たちにも非常に気を付けて関わっています。それと治療に当たっては、やはり優しい人の方がうまく行きます。やっぱりそうですね。
OK先生:一つよろしいでしょうか?統合に代わるアイディアとしてあるのは、ANP、EP、ところでこの言葉、私あまり使わないようにしてるんですけども、やはり使っちゃうんですけれども、主人格が例えば怒れなかった、でも自分のなかに黒いものを感じる、というような人が、怒ることが出来るようになるというプロセスがあるわけです。例えばお母さんに対して、全部「はい、はい」って聞いていた人が、お母さんに対して、意見を言えるようになったときに、自分のなかにある黒い部分っていうのが、だんだん広がってきて自分が灰色になった気分になった、っていうような患者さんがいらっしゃいました。その方の場合には、ANPとしての主人格が、機能を広げて、スキルを蓄えて、そして、「あ、自分は、いろんな感情を持ってもいいんだ」みたいになった場合に、他の人格が出てこなくてもよくなる、だから他の人格が安心して休むことが出来るようになる、という状況に持っていくというのは、わりと求めるべき、追求するべき方針だろうと思っています。統合を目指すというよりは一人一人の柔軟性を育てていく。また私が何が何でも統合に反対するのではなく、自然に起きるのなら大変結構だと思うところがあります。私だって、患者さんが「ABが統合しました」っていうふうに言われたら、「良かったですね」だと思うんですよ。その後も、もうちょっとフォローする。ただ、治療者がかなり強制力を加えて「あなた方を統合しました」という治療がある、、、ようです。それに関しては、ちょっと異を唱えたい、そういうことをちょっと申し上げたかったんです。