2019年4月7日日曜日

解離の心理療法 推敲 51


私の知っているある有能な臨床家は、まだ複数のEPを持っていますし、その方はISHInner Self Helper 内的自己救助者)もしくはオルファ(サンドール・フェレンツィが『臨床日記』で述べた守護天使)によって導かれていた時期があるということです。本当に少しですけれども、こうしなさい、こうしなさい、という声が聞こるとのことです。それはその方の、おそらく7歳以前の大きなトラウマと関係しているのだと思います。ラルフ・アリソン的な意味での解離を持った方だと思うのですが、その方がDIDだったかというと、そうではないと思いますし、別に障害レベルではないそのような方は結構いらっしゃると思います。その意味で私は人間は統合された存在であるという考え方が、あまりありません。中井久夫先生がおっしゃったように、人間は超多重人格なんだ、人格の間を行き来できればいいだけだと思います。例えば自分の中の人格を「人差し指ちゃん」とか言っているとだんだんそこが独立して来るというようなことがあるので、そういう意味では直接話しかけないとか、なるべく自分からは名前をつけないとかというのは、意識していますけれども、私は分けないけれども無理やり一緒にもしないという立場をとっています。それは臨床体験からなのです。

S先生:私も少しだけコメントいたします。私は解離を空間的変容と時間的変容、つまり、離隔と区画化という形に分けて考えているのですが、現代社会においては、離隔というか、離人症が非常に蔓延していて、これはどうしようもなく我々の時代の特徴でもあるのだろうと思います。だから統合ということで離隔という離人症的なものを無理やり一緒にしてしまうのではないにしても、コロッ、コロッと変わり過ぎるよりは、多少の統合は必要だと思うのです。それぞれの体験の記憶がなくなってしまうと、責任の主体はどこにあるのか、ということになるわけです。要するに、離隔、離人の問題を多元化という方向に持っていくべきではないかと思っています。他方では統合にもどこに意味、どれだけの意味を持たせるかということも問題にはなると思いますが。フロアやシンポジストの方々といろいろお話できればと思っています。いかがでしょうか?
参加者A:ひとつ確認ですが、多元化というのは、具体的にはいわゆる健忘障壁とかがない、という意味でしょうか。つまりそれぞれの人格が独立していて、しかし情報交換が意識されているということでよろしいでしょうか。
S先生:多元化もいろいろな意味があるとは思うんですけれども、要するに固定された視点ではなくて、いろいろなところに意識や視点を変えられる自由さみたいなものを意味します。あるいは行動においても、そういうのもひとつの現代の必要な能力かなというふうに思ったりするものですから、そんな言葉を使いました。
 SM先生:あともうひとつ申し上げたいことがあります。赤ちゃんは、へその緒を切った直後にはまだ自我状態が6つしかない、ということです。その後にとても急速に様々な状態が出来てきて、そこに適切な親の関わりがあって、きちっと私というものができあがっていきます。そのときにまなざしがなかったりした人は、例えば、30歳だったら30年分の不足があって、50歳だったら50年の不足があることになります。そういう人たちの持つでこぼこについての生物学的なレベルでの限界をわかった上で、でもその人たちにもいいものも絶対にあると信じるべきだと思います。それは適応のプロセスで生じたのでしょう。そして適応としての私の姿というものを、治療においてその人自身が認められるというところまで、導いてあげることができれば、それほどひどいことは起きないのではないかと思います。たとえば患者さんに心理教育を丁寧にすることで、みんなが協力し始めることもあるでしょう。私はトラウマを体験した子供の人格は寝かしてあげればいいと思うんです。なぜならばその子しかDVを体験していないわけで、その子はいつも怯えるという運命にあるのです。だからもう本当によく頑張ったから眠っていいって言ってあげていいと思うのです。もし、その他の子たちも見ていたら、その他の子たちに、エゴステイトワークをしてあげた方がいいのだろうと思います。そのときに何が起きていたのかという自我状態を生物学的な見地から見てあげることによって、その人格状態をどうしてあげるのが一番よいのかと考えるべきだと思います。「よく頑張ったじゃない」、「休んでもいいよ」、と言ってあげたり、また起きてくるかもしれないけれど、そのときに一番気持ちよく寝かせてあげたりすることが重要です。私のケースの中で、寂しいって言ったから、じゃあ、遠隔テレビを持っていったらと、とっさに言ったら、「わかった、そうする」と言って寝た子がいます。そうしたら、他の子たちも、「その子が寝るんだったら私も寝よう」と、寝たり、ということもありました。
 S先生そうですね。納得させて、表現してもらうというか。もう、何か役割を終えると、自分の気持ちとか伝え終わると、もう、それで、一種の弛緩状態になって、確かに、眠りにいくというのは理想のような感じはしますね。
OK先生:その場合、ひとつの指標というのが、交代人格のエネルギーだと思います。彼らが出ているときに、もう眠くなって、あとはもういい、みたいになっていくんですよね。そうすると、これがひとつのサインかなというふうに思います。そのような時は自然に、「あぁ、眠たいんだね、じゃあ、寝ていいよ」 という風にいえるでしょう。でも、眠たくなる前には、何かを達成したいと思っている可能性もあります。何かに満足したい。そしてどうしたら満足できるか、ということは、人格によって違うと思います。自分がかつて見たこと、聞いたことを話したいのかもしれないし、自分が買ってもらえなかったリカちゃん人形を買って、遊んでもらってから眠る、ということかもしれません。人生で何を思い残しているのかを、それぞれの人格に聞いていくことが必要なんだろうなっていうふうに思いました。