2019年4月6日土曜日

解離の心理療法 推敲 50


N先生:はい。それでは私も少し意見を述べさせていただきます。私自身は普通の精神科医で、普通の診療の中で解離の方とお会いしています。ですから、10分診療の中で何ができるか、というのが私のテーマのようになっていて、意地になって10分でやっているというところがあります。その中で患者さんとお会いしていていますが、なぜか関西では、解離の治療をするのは東京しかない、解離の専門家は東京にしかいないという噂が流れていて、それで関西でちょっとでも解離を扱うとなったら、そこに患者さんがいらっしゃるということがあって、私もそのような中で患者さんにお会いしています。そんな一精神科医の印象としてお話すると、今、お二人の先生からの話にもありましたけれども、あまり治療の中で使っていて、統合ということ自体にいい印象がないのです。患者さんのみなさんは、それを恐れるようなところがあり、「統合したら治るんですよね」という人は、なにかそれをネットでの情報などで仕入れてきた、なにかこう現実的でない、理論的なものとして捉えていておっしゃっている様なのです。つまり本当にご本人がよくなる、救いになる手段としての「統合」という言葉を使うことがあまりない印象が私自身はあります。そういう事情もあって、私もあえて「統合」を使わない、治療の中ではあまり持ち出さないという風にしています。患者さんの中では、統合した、つまり「AさんとBさんが統合しました」という形で報告してくれる人がいるのですが、その後になって「またCさんが出てきました」とか言ったりするので、それが治療的に本当に前進しているという印象をあまり持ったことがないのです。別の人格、特に感情的な人格であったり、いわゆる黒幕人格というような、非常に怒りを抱えた人格と接点が持てて、これは統合とちょっと違うかもしれないのですが、そういう人格と他の人格とが交流できたりするようになってくるということを通して、ちょっと治療が前進したと私自身はイメージしているのです。そういうことが上手くいって、黒幕さんがだんだん穏やかになってきて、結構会話ができて、なぜ、この人がこんなことで悩んでいるのかなということがわかり、あ、これもしかしたら、統合ではないとしてもひとつの安定の仕方で、前進かなと思った矢先、次の時来たらまた別の黒幕さんが現れる、ということが起きます。やっぱり、ご本人の本当に大事なところがそれで解決されたわけではなかったということだろうと思うんですよね。つまり統合により何かひとつ山を越えても再び別の人格が現れる体験を持つために、統合だけを優先することについては臨床の中ではあまりピンときていないというのが正直なところです。
SK先生:はい、最初に告白すると、私は解離の治療を統合志向的にやっていたんですね。もう20年も前のことですが、リチャード・クラフトとか、フランク・パットナムなどの本を読みながらやっていたものですから、そしてそれはそれで自分の臨床体験だったのです。しかし統合の悪影響というのは、特にDID レベルの人にはたくさん起きて、後になって、それまで出来ていたことが出来なくなってしまうということがおきたのです。たとえば、お姉さん人格とお掃除人格を統合したことがあります。そしてこれから一緒にやれるだろう、お掃除人格はもともとヘルパー的な役割だったし、と思いました。ところがその人はお掃除ができなくなってしまったのです。またある患者さんの子ども人格と仲の良いお姉さん人格を融合したら、IQが落ちたような感じになってしまったもありました。特にDIDレベルの方は人格ごとに様々な機能を持っていらっしゃるので、統合によりそれらの機能の一部が失われたということを数件経験してから、私は一切統合ということを意図しなくなりました。だからみなが連携して一緒にやるというところが、私の今のところの一番の目標です。それとDDNOS [その他に分類されない解離性障害]のような方だと、ANP がしっかりしていて、融合してうまく行ったということがあったりしたわけですが、後になって、10年くらいしてから、「また分離しちゃった」と電話がかかってきて、その時にいかに患者さんが「分離をしちゃいけないんだ」とがんばっていたのかということを知り、気の毒なことをしたなっていうふうに思ったのです。だから、そういうことも含めて、あんまり統合ということを使わなくなっています。だからある人格に対して、みんな一人一人大事で、みんないるんだよ、ということを前提に、まぁ寝てもいい、それは寝たいときに寝るのは、というふうな形で、自然に任せています。あと、もうひとつは、何か理由があって、いくつかの人格が出来て、それぞれが一つの面を持っているのだということを体験してわかってもらうということもしています。たとえばAちゃんとBちゃんがあるDVを目撃していたという様な時に、AちゃんとBちゃんの目を一緒にして、それで心の中の画面でDVの場面を見てもらうということをします。そしてそのあと目を閉じたままで、観念連合反応を使いながら EMDR をしてもらいます。でもそのあとは元に戻ってもらい、それぞれに「どうだった?」とたずねたりしています。そもそも本当に融合が起きるときは、それは自然に生じてしまい、それによりある人格が消える形を取ることもありますし、また別の人格と一緒になってしまい、自分で名乗らなくなってしまいます。そしてそのあと解離のテーブル技法の中に、突然、虹色の寝袋を使うおじいさんが出現してきたりするのです。それが統合とどう関係しているかは私自身もちょっとよくわからないんですけれど。でも私がこうしたからっていうことではない形で、自然に統合に類似した何かが起きるということはあるかと思います。
 あともうひとつ、皆さんにお伝えしたいと私が思っていることは、自分がすごく統合していると思っている人というのは、それは幻想ではないか、ということです。たとえば私がここで皆さんの前で対談をしたりするときは、すごく緊張してこんな声になりますが、臨床しているときはおそらく全然違う声でしゃべっているのです。そして家に帰って子どもと遊ぶときはまた違うし、旦那さんに甘えるときもまた違います。やはり、その場その場で違うんです。そしてそれは私特有のことなのかというと、たぶん、多かれ少なかれ、皆さんにあるはずです。