2019年4月23日火曜日

いい加減さ 3


 実は揺らぎについて調べていて、吉田たかよし著の「世界は『ゆらぎ』でできている」(光文社新書)を読んでいるのだが、彼の揺らぎの記述は大変なことになっている。この本の副題は「宇宙、素粒子、人体の本質」とあるので、ある程度覚悟はできていたが、結局は揺らぎの問題は量子力学にまでさかのぼっていくようだ。この本の前半はそんな話ばかりである。結局揺らぎは量子レベルでの物質が持つ、粒子としての性質と波動としての性質に行き着くという事だろうか? 物質をミクロレベルで探求していくと、長さにも時間にも最小単位が存在するという。長さは1.616×10のマイナス35乗メートル。(ちなみに時間にも最小単位があり、それは5.391×10のマイナス44乗秒。時間にも最小単位があるとは知らなかった!) それ以下になると物体は波動としてしかとらえられず、その在り方は最近では超ひも理論により説明されようとしている。そしてその超ひもとは、太さを持たない長さだけのヒモが波打っている状態であり、そのパターンにより17種類の素粒子に分類されるという。揺らぎはそのレベルにまでさかのぼる必要があるのだろうか? ここからは素粒子論に門外漢の私の想像だが、たとえば花粉が水中でフラフラ動く様子として発見されたブラウン運動については、これを量子レベルまでさかのぼる必要はない。ランダムに飛び交う水の分子(波動、ではなく)にぶつかることで花粉はフラフラ動いていく。このような揺らぎは別に自然現象である必要はない。ネットではコインを投げて、オモテならこちら、裏ならこちら、という風な動きをコンピューターでシミュレーションした際のランダムウォークを見ることが出来るが、これも同じ動きをする。これと株価を関連付ける研究もあるという事は、量子レベルより上のマクロレベルでのゆらぎで私たちの体験する揺らぎの多くは説明できるのだろう。でもこの揺らぎのフラクタル性を、ミクロレベルに追求していくと最終的には粒子そのものではなく、揺らぎそのものに行き着く、というところはすごい話だ。つまり揺らぎのフラクタル性は極小レベルまで保たれたままだということである。どこまで拡大しても「ピクセルのギザギザ」に行きつかない!すごいことだ。