このように性的逸脱行動は自傷行為の一つの典型とみなされる場合があります。かつてレイプ被害に遭い、加害者に抵抗することができずに蹂躙されたことで深い傷つき体験したイズミさんは、その体験を乗り越えようとし、自ら能動的に相手を性的に誘い、そこで主導権を握ろうと試みたそうです。彼女は性的な逸脱を重ねることで、最初に受けた苦痛を薄めようとしていたのかもしれない、とも話しました。性被害を持った女性で、その後風俗で働くことを選ぶ方たちの中には、そのような意図が隠されている場合も少なくありません。
多くの自傷行為は一人で完結するものですが、性的逸脱行動には他者が関与します。そしてその行動が繰り返される背景には強い孤独感がある場合があります。ただしそのような関係性の多くは一時的、刹那的であり、失望や見棄てられ体験へとつながります。その意味では性的逸脱行動を繰り返す人生は、その生き方そのものが自傷的であるともいえます。彼女たちのなかには、性的なものを介在させないと人とつながることができないという不安もあるかもしれません。自分は既に穢れているから、もっと穢れるところに落ちていると安心だという思いなど、トラウマに由来した複雑な思いが他にもいろいろとあるでしょう。
こうした思いを乗り越えるには、性的なものを介在させない穏やかな関係が重要です。それは異性との間でももちろん構いませんが、その場合は関係の性愛化という反復強迫から逃れることがより難しくなるでしょう。そのためにできればお互いに性的関心の対象とならないような相手と、深くはなくとも穏やかな関係を持てることが望ましいでしょう。そのような関係をひとつでも持つと、患者さんが落ち着いてこられるのを感じます。長屋の井戸端会議のように、文句を言ったり、たいして重要でもない話をしたりしながら、知らぬうちにエネルギーを回復し、それぞれの生活に戻っていく。そんな関係性をイメージしてください。
患者さんの交代人格の中には、攻撃性の高い、いわゆる「黒幕人格」が認められる場合があります。この「黒幕人格」については、第7章で詳しく論じますが、ここで簡単に言えば「怒りや攻撃性を持ち、その姿はあまり認識されることがないものの、重大な状況で一時的に現れる人格状態」のことを指します。解離性同一性障害では、この「黒幕人格」が主人格をはじめとする自己の内部を攻撃する形で、自傷に至る場合があります。
【症例】ヒカルさん(20代、女性)
(中略)
ヒカルさんは、過去の記憶の多くが曖昧で、治療はなかなか進展しませんでしたが、次第に支配的な親のもとで自分の主張を通すことなく成長してきたこと、そうした対人関係のありようが、家族外の他者との間でも繰り返されてきたことがわかってきました。〈自己表現を許されず、不満や怒りを心に留め続けてきた結果、それが「怖い人格」となって、耳元や頭の中で命令するのであろう〉と説明すると、ヒカルさんは「それでなんとなく納得できた気がする」と言いました。