2019年3月22日金曜日

解離の心理療法 推敲 37、複雑系 16


 4-2 自傷行為の象徴性

自傷の方法には様々なものがあります。最もよく知られているのは腕や手首を刃物で傷つける、いわゆる「カッティング」と呼ばれるものです。しかしそれ以外にも、壁に頭を打ちつけたり、タバコの火を自分の体に押しつけてやけどを負わせたりするといった自傷(いわゆる「根性焼き」)もあります。これらは基本的には身体レベルでの快感や安堵感を得ることを目的としていますが、それでも傍目には自らに苦痛を負わすだけとしか思えないような自傷もあります。つまり苦痛を得ることそのものが目的となったり、その行為がある種の象徴性を帯びているように思える様な自傷があります。そもそもカッティングにより血を流すという行為が、それにより自分が生きている、「血の通った人間」であることを確かめるという意味を持つ場合が少なくありませんが、それ自体が高い象徴性を持ちえます。また性被害体験を有するある患者さんは、“漂白剤を飲む”という自傷行為を繰り返していました。なぜそうしようと思ったのか、患者さん自身は、全く無自覚でしたが、後に「体の“汚れ”を清めようとしていたのかもしれない」と述懐されました。このような、現実に起きた嫌な出来事を象徴化し、苦痛を乗り越えようとするかのような自傷も少なくありません。
さらにいわゆる「ミュンヒハウゼン症候群」または「虚偽性障害」と呼ばれる疾患は非常に特徴的で、入院中に自分の点滴液の中に汚物を混ぜるなどして感染症を引き起こそうという行為なども報告されていますが、そこには自分の病気を誇張して周囲に伝えるための自傷が見られます。これもそれにより何らかの明らかな疾病利得が見当たらないのであれば、いわゆる詐病(俗にいう「仮病」)とは異なる精神疾患として理解されます。
また明らかな自傷行為とは断定できないものの、行為そのものが自分の身体や精神を傷つけ、その意味で自傷的、自己破壊的な場合があります。そしてそれが交代人格により行われる傾向にあるというのが解離性障害の特徴です。

【症例】自己破壊的な交代人格を持ったイズミさん(20代、女性)

(略)

イズミさんは、幼い頃から「父親」が登場する童話や小説を好み、父という存在に強い憧れを持ってきたこともわかりました。しかしその気持ちを悟られれば、母を傷つけるだろうと封印していました。面接では、レイプ事件のトラウマと、その傷つきを大きくしたイズミさんの生育環境などをテーマに話を進めていくことにしました。

複雑系 16


揺らぎがなぜ健康と関係しているのか

さて、心不全に陥った心臓の心電図には揺らぎがなくなっているという事はどういうことか。つまり揺らぎはあるのが健康、という事はいい加減さが健康度の証明ということにある。でも現代社会でいい加減な振る舞いはたちまち攻撃の対象になる。チコちゃんなら「ボーっと生きてんじゃないよ!」とどやしつけてくるだろう。だからいい加減であることはいけないことだ、というのが私たちの常識的な考えなのだ。まず頭で考えてみよう。心拍数は結局は個々の心筋細胞の自発的な拍動をもとにしているはずだ。そして絶対に、個々の心筋細胞はいい加減に拍動しているはずだ。つまり拍動数は増えたり減ったりしているだろう。あなたがしゃっくりをしている時、その間隔はいい加減な筈だ。心筋細胞もしゃっくり位のいい加減さで拍動しているのではないか。さてそこにそれを統括する細胞群があり、それを押しなべて一定な頻度で拍動をつくるはずだ。それは「獅子脅し」的な、つまり一定数の心筋細胞の拍動以上で信号を送るような仕組みだろう。つまりはこれもまたいい加減な筈だ。

日本心臓財団のhpに「耳寄りな心臓の話」(66話)『揺らぎなき末期の心臓』(川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)という記事があり、確かに心不全の進んだ心臓の心拍数では揺らぎが少なくなっている。しかしその細かいメカニズムは明らかでない。そこで私はこれを柳の枝の振れ幅、と考えた。一日の内には風が強い時も弱い時もある。健康な柳ならその振れ幅に揺れ擬が生じるだろう。それは風という外的な力に対してそれを受け流す余裕をそれだけ持っていることを示す。あるいは人の表情筋の動きはどうだろう?日常生活で感じるいろいろなものに応じて動くし、そのゆらぎの大きさは健康度を表すだろう。鬱だったりパーキンソン病だったりしたら、ほとんど表情は揺らがないはずだからだ。という事は脈拍数もそうだろう。脈拍は体の自律神経系の影響を大きく反映するだろう。それらの刺激は柳の枝に吹き付ける風のような意味を持つはずだ。という事は揺らぎは、ただ意味もなく揺らいでいるのではなく、実はその環境で生じているさまざまな影響を敏感に受け、その影響を受けつつその動きを緩和しているのではないか。柳の枝が大きく揺れることで風の勢いを消すように。
 このように考えると揺らぎの意味が根本から変わってくる。テニスのサーブの入る確率は揺らぐが、それはサーブを入れようとして心身が行う試みを柔軟に反映しているという事だろう。サービスが入るようにと、運動前野に様々な信号が送られてくる。それに柔軟に対応した結果、サーブが入ったり入らなかったりする。すると心不全の時の心臓のように揺らぎを無くしたサーブは、「決して入らない」という硬直性を発揮するという事だろう。あるいは必ずネットに引っかかってしまうか、必ずホームランになってしまうか、という状態になるわけだ。そういう意味でイイカゲンにサーブが入るという事は、本当に良い加減という事になるのだ。