2019年3月16日土曜日

解離の心理療法 推敲 34



マナさんの自傷は、「見捨てられ不安」が刺激される場面で、彼を巻き込みながら生じていました。そのため、マナさんの自分自身を傷つけるような行為を目の当たりにした彼は、心配でそばを離れられなくなっていました。結果的に、マナさんは彼をつなぎとめておくことができました。そしてその意味ではいわゆる「二次利得(病気や症状によって得られる利益)」があったともいえるでしょう。面接を重ねていくうちに、マナさんのこうした振る舞いには、人との関係性で安心感を保つことが難しいような様々な背景があることがわかってきました。
自傷の目的は、耐え難い不安の解消にあり、マナさんは、それ以外の方法がみつからないほどにひっ迫した状況にありました。ただ結果として、彼を感情的に巻き込み、支配し、操作する、という側面も持つ、というのが、非解離性の自傷の特徴と言えます。いわゆるアクティングアウト(行動化)と呼ばれる行為も、そのようなタイプのものを指すと考えていいでしょう。それは常軌を逸脱した行為であり、周囲に迷惑をかけ、その意味でも周囲から非難される傾向にあります。
また、このタイプの自傷では痛みを伴うことが多いとされています。それゆえ、自己処罰的な意味合いを持つ一方、それ以上の苦痛を他者に与えられないようにするといった面を含んでいる場合もあると考えられます。さらにはこのエピソードを本人も記憶しているという事も、解離性の自傷とは異なる特徴です。
この様な非解離性の例をまず挙げたのは、自傷行為の一つのパターンをこれが示しているからです。そして多くの自傷行為がこの種の逸脱行為、非常識的な行為、行動化として受け止められてしまいかねないという問題があります。
  

2-2 解離性の自傷
 ここでも、まず症例を提示しましょう。

【症例】


こちらの例は、解離性の自傷行為の例として挙げられるものです。エリさんは、どちらかというと感情表現に控えめなところがあり、大勢で過ごすよりは、一人遊びや読書を好みました。また、幼い頃から継続して「想像上の友達」を持ち、解離傾向の高い少女といえました。エリさんの過去をさかのぼると、中学12年の頃も、教室をふらっと飛び出すということがあったことが分かりました。しかししばらくすると戻ってくるために、クラスメートはあまり気にかけていなかったようです。ただある時上履きのまま学校の外に出て行った姿を目撃されたこともあったと言います。
エリさんは、この自傷行為の後も、突然ベランダから飛び降りようとしたり、一度に大量の薬物を摂取したり、といった深刻な自傷を繰り返すようになりました。何が引き金になるのか明瞭でないことも多く、たいてい、ひそやかに実行されました。事後に傷跡を見て、心を痛める家族とは対照的に、エリさんは傷そのものの痛みをあまり感じてはいませんでした。エリさんは精神科医を受診し、解離性障害の診断が下り、心理師とのカウンセリングを開始しました。そして面接を重ねていくうちに、過去および現在の記憶の曖昧さから、いくつかの人格の存在も判明するようになります。
このケースに見られるように、解離性自傷の大きな特徴は、痛覚を伴いにくいこと、また、明確な記憶を持たず、行為の主体者という意識が希薄であるという点にあります。
  
2-3 非解離性自傷か解離性自傷か―共に根底には自尊心の低さ
 この表はレベンクロン著CUTTING―リストカットする少女たち (集英社文庫)から取ったものですが、解離性、非解離性の自傷を比較して考えるうえでとても参考になります。
実際の臨床場面では、この表のように非解離性か、解離性か、と明確に二分できないことも少なくありませんが、一般に、解離性自傷の方が、非解離性自傷より、習慣化し、徐々に方法もエスカレートしていくことが多く、深刻とされています。ただし他人の注意を引き留めるための、非解離性の自傷行為は、それがさらに深刻な自傷につながる場合には、対人関係を結局は損なうものになりかねません。その意味であまり[健康度が高い]とは言えない場合もあります。逆に解離性の場合、それが思春期に一時的に表れるものであるならば、それほど深刻なものとしてとらえる必要は必ずしもありません。
また、非解離性と解離性では、その行為が影響するところに他者を想定しているか否かという違いがあります。非解離性の自傷では、「操作的」「見捨てられ不安を刺激されて」と表現されるように、他者をおいたところでその行為が実行されることが多く、一方、解離性の自傷では、他者の存在そのものが想定されていないように見えます。それは解離性障害の発症経緯や、病態のありようからも理解できることでしょう。
 いずれのタイプの自傷であっても、根底に自尊心、自己価値の低さという問題があり、自傷によりバランスをとって生き残っている、個体としての死を免れているという側面があります。その意味で自傷に救われているともいえます。
しかし、自傷は、苦痛に対する応急処置であり、根本的な問題を解決させることはありません。体を「切る」ことで、苦痛の体験、記憶を一時的に「切り」離すことはできても、生々しい苦痛の体験は現在の自分を脅かし、過去のものとして、安らかに「成仏」してはいません。体験は心の奥底をさまよい続け、何かのきっかけで姿をあらわし、再びその人を圧倒します。
また、繰り返されることによって、自傷による苦痛の回避効果は薄れ、しばしば、より深刻な結果をもたらす自傷にエスカレートしていくことも大きな問題でしょう。そのためにどこかで自傷を手放すことが必要であり、その土壌として、自尊心を育てるような、他者との信頼関係が重要になってきます。この信頼関係の形成でも、解離性、非解離性、ふたつの自傷が最初に目指すところには少し違いがあります。非解離性の場合は、依存対象との安定した距離の持ち方が課題となる一方、より自己完結的な解離性の自傷では、他者とつながる、ということが大きな課題になります。つながること、助けを求めることさえも諦めているように見える解離性自傷の患者さんと関係を形成していくためには、治療者はじめ患者さんをとりまく周囲の人間は、その不安を理解した上で、侵入的にならず、諦めず、つながりを築いていこうとすることが必要だと思われ
ます。