母になったタマミさん(20代女性、主婦)
略
タマミさんの例のように新たな道を切り開くこともある一方で、人によってはトラウマによって奪われた人生の時間を振り返り、取返しのつかない悔しさ、やり場のない怒り、無力感や絶望に見舞われることもあります。治療を通してこの過程に取り組むには、患者さんも治療者も改めて心の準備を必要とします。
米国の解離性障害の権威であるフランク・パトナムも指摘するように、人格が完全に統合された状態を最終目標とするのは必ずしも現実的ではないでしょう。とはいえ、完全な統合とは断定できないまでも、突然の交代人格の出現に煩わされていた日々が嘘のように、穏やかな日々が訪れることもあります。この段階で治療をいったん終結することもあれば、その後の課題に取り組むために継続することもあります。それまでの苦しみにより奪われた時間とエネルギーについて振り返り、それ以降の生き方について考えたいと患者さんが願う時、治療者が少しでもその役に立てるのであれば、その過程に寄り添うのは価値あることといえるでしょう。
3.トラウマ記憶が蘇る事態
性被害など事件性のあるトラウマ体験をもつ患者さんでは、加害者の逮捕や訃報を受けて、辛い記憶を呼び覚まされることがあります。当時の体験が生々しく蘇ることで怒りや恐怖に苛まれると、時にはそれまで落ち着いていた状態が一気に悪化します。加害者が亡くなった後に、相手に怒りを突きつける機会を失ったという絶望や無力感に襲われる人もいます。加害者との接触やそれに関する情報を見聞きすることは、トラウマの再浮上につながり、患者さんを過去に引き戻すのです。
ただし幼少時に性的なトラウマを負わせていた人物が、大分のちになり告訴の対象となる場合には、さまざまな思いが交錯し、記憶が蘇ることになります。患者さんと加害者が以前から顔見知りで一定以上に親密であった場合には、相手に向けていた思慕や信頼を裏切れられたという傷つきで、トラウマ体験も一層深刻となる可能性があります。
サトルさん(30代男性、技術職)
中略
サトルさんはこの感情を客観的に見つめ整理するために、事件に関する情報を見聞きするのをやめることにしました。サトルさんはその後パニックの発作を起こすことはなくなり、日常生活は落ち着いたものになりました。