ワカラナイから面白い、というテーマを付けた以上、では「わかること」は面白くないのか、という事を問われそうです。分からないことが面白い、というのは逆説的な言い方をしていると取られかねないでしょうし、確かにそういうニュアンスもあります。でも確かにわからない、予想が出来ないという事は面白い。ただしそれは相対的な「わからなさ」なのです。大体は予想が出来て、その一部は予想できない、という割合が大事なのでしょう。
たとえばサッカーの試合を考えてみましょう。人によって違うと思いますが、私はサッカーの試合の結果が分かっていた場合は、ビデオ録画を取っていたとしても、それを見ることはないと思います。結果がどうなるかわからないから見るのが面白いわけです。そしてリアルタイムで進行している試合に興奮するのは、そこで必ず予想外のことが起きるからです。ただしその予想外のことは、ルールに従ったプレーの中で起きるという事が重要なので、何がどう進むのかはある程度予測できることが大事です。
たとえば試合は前半後半45分ずつだという事が分かっている。だから少し試合が中断した場合、ロスタイムがおそらく2分くらいと思っていたのに3分になった、という予想外のことが起きます。審判が突然30分で後半の試合を切り上げてしまったら、面白いどころの騒ぎではありません。まあ別の意味で面白いという事はあるでしょうが。あるいは正確にゴールに向かっていたように思われたシュートがバーにはじかれてしまったという事も予想外です。丁度パチンコの玉が釘で方向が予想外に変更されるのと同じように、クロスバーの太さとボールの大きさのバランスは、微妙な偶発性を与えてくれます。この様に「何が起きるかわからない」は、ある程度のことは予測できる、という条件で意味を持ちます。
さてこの予想外の出来事は、実は「フラクタル性」を持ちます。いきなり、という感じかもしれませんが、皆さんはこんなことを不思議に思ったことはありませんか? 初心者もプロのテニスプレーヤーも「今日は緊張してサーブがうまく入らなかった」などという事を言うのです。技術は全く違うのに、あたかも同じような心の揺れが起き、それが体の動きに影響し、予測不可能性を生んでいるのです。もちろん初心者とプロでは、「今日は調子が悪い」という事で何を意味するかは全く違います。初心者はアンダーサーブです。しかもサーブをしようとしてもラケットが何度も空振りをしてしまったという事でしょう。結局山なりになったボールが相手のコートにうまく飛んでくれるのは半々、といった感じかもしれません。(ただし相手も初心者ですから、それをうまく返してくる確率も低くなります。)しかしプロだったら、「調子が悪い」とは、きわどいコースを狙ったが、惜しくもラインを割ってしまったという事かもしれません。こちらはハイレベルの話です。しかしいずれにせよ予想されることがあり、そこから外れることが起きうるわけで、おそらくその比率は一定なのです。テニス教室の初心者クラスの模擬試合を観戦している母親は、自分の子供がアンダーサーブで2回に一回は相手のコートにうまく球を打つことが出来ることを予想していた場合は、3回に一度しか入らないと失望し、3回に二度入ったら大喜びするでしょう。またプロのテニスの試合に足を運んでいる人たちは、選手のアンダーサーブ(99.9999パーセントは相手のコートに入るでしょう)を見に来ているのではありません。選手が全力で打ち込んだファーストサーブが決まる確率が、二分の一なのか、三分の一なのか、あたりで失望したり興奮したりするはずです。フラクタル性、という事なら、例えば子供のよちよち歩きを考えてもいいかもしれません。一歳の子が二歩あるける確率が、三回に一度か、三回に二度かに一喜一憂する、という風に。プロのテニスプレーヤーなら、その動作の精密度はかなり上げられ、そこでのゆらぎを見ることになりますが、赤ちゃんのそれはかなり大雑把で密度の荒い動きにおける揺らぎを見ることになります。そしてそのプレーヤーもやがて歳を取り、シニアの大会に出るようになり、最後にはアンダーサーブになるかもしれません(まさか!)。そしてやがて年老いて介護施設で暮らすうちに認知症になり、そうなると外出してちゃんと施設に戻れるかが三回に一回か、二回か、というゆらぎを見せるでしょう。