親が子供に対する虐待や暴力を行った事実を認めない原因として重要なのが飲酒の影響です。酩酊状態で起きたことを後に想起出来ない状態をブラックアウトと呼びますが、その時の出来事をある程度は思い出すことが出来る場合にも、その詳細は歪曲されたり過小評価をされたりします。飲酒の上での暴力は大抵は本人にとっては「ほんのちょっとした喧嘩」程度にしか認識されていないことが多く、それを被った相手がどのような深刻な心の傷を負ったかはなかなか認識されない傾向にあるのです。場合によっては酔った場合に全く人が違ったような乱暴な振る舞いをすること事体を家族から聞かされていないということすらあります。
子供のトラウマの体験は、暴力や攻撃性がその子供本人に向けられていない場合でも生じます。感情的だったり叫び声や暴力を伴った両親の間の諍いは、その一つの例です。両親はお互いの間での争いごとなので、子供は巻き込んでいないと考えているかもしれませんが、それを目の当たりにしている子ども自身にとっても深刻なトラウマとなりえます。さらには夫婦げんかについてその後にそれぞれの親から異なる、あるいは正反対の訴えを聞かされ、同時にそれを秘密にすることを強要されるという状況は解離性の障害を最も生じやすい可能性があります。
当人とは別の家族が虐待の対象になっている場合も同様です。母親やきょうだいが父親の虐待の対象になっている場合も、子供はその虐待を受けている家族に同一化し、あたかも自分が虐待を受けているような体験を持ちます。これらの場合も当人に解離が生じていることを他の家族は認識しにくいでしょう。解離が生じている時は本人からは何も特別な訴えがなされないことも、その深刻さが認識されずに虐待が繰り返されてしまう一つの要因なのです。
それらの場合は、当人に解離性障害という診断が下ったあとも家族が自覚のないまま患者さんにトラウマを与え続ける場合があります。患者さんがまだ未成年などで、原家族のもとにとどまる必要がある場合には、治療者は患者さんの家族とも信頼関係を形成するために、家族の意向をうかがいながら理解を得るための工夫を重ねる必要があります。
家族にとって解離性障害を受け入れることは、自分たちが患者さんにトラウマ体験を与えて来たという可能性を認めることも含むために余計難しいことになります。現在では家庭内での虐待が広く論じられ、解離の病理との深い関係も知られるようになったため、家族は身内に解離性の病理を有する者がいると認めることに強い抵抗を覚えます。解離の症状を持つ子供を抱えた両親は自分たちの子育てを否定されたと感じ、困惑、自責の念、憤りなどを覚え、「我が子のためによかれと思い」「懸命に」「誠実に」「しつけのために」という一心で子育てをしてきたと主張したい思いに駆られます。
治療者はこのような家族の訴えを否定せず、出来るだけ決めつける態度を控えて、中立的な態度で耳を傾けます。家族状況や親子関係で生じるトラウマに、単純な加害-被害関係をみることには慎重であるべきです。患者さん自身も必ずしも自らの育った状況を虐待とは結びつけて考えてはいないものです。
第2章で述べたような親子関係のトラウマについて、家族にも同様の理解が得られれば理想的ですが、親自身がそれまでの自らの生き方を否定しかねない観点を受け入れることには、相当な困難が伴うものです。それを求めるよりは、加害的状況を作り出した原家族と物理的に距離を取り、患者さんが自分自身について客観的に考えられるような条件を整えることが優先されることもあります。
診断が明らかになった時点で患者さんと家族を引き離すべきかどうかの判断は、極めて難しい課題です。まずはじめは解離の病理についての家族へ説明や情報提供を心掛けるべきでしょう。患者さんの年齢や心理的自立度、家族を取り巻く現実的かつ心理的状況などを総合的にみて、いくつかの選択肢を双方に提示することもあります。患者さんが成人している場合は、とりあえず家族と付かず離れずの距離にアパートやマンションを借りて住むという方法もあります。