精神療法で問題になる揺らぎのテーマを考えると、しばしば挙げられるのが行動の持つ意味の問題である。もう少しわかりやすく「抵抗」の問題として取り上げよう。
ある患者さんがセッションに5分間遅刻する。セラピストは「あなたが治療に来たくないという気持ちの現れ、つまりは治療に対する抵抗を表していますね」ということになる。これは精神療法におけるある種の典型的な状況であるが、「実は治療に来たくない」に限る必要はない。「何となく外出をしたくなかった。」「出かけてるときに鍵を忘れていたことに気がついた。」「まったく普通どおりに家を出たのになぜか送れた」などなど。要するに5分送れたことに何らかの帰途的な根拠が存在していたのか、ということである。
もう少し原則に遡ってみる。あなたは朝8時に家を出て会社に向かう。職場までは約30分かかる。だいたい8時半くらいに職場に入るつもりでいるから、8時に出るのは妥当なころあいだろう。しかし出かけるときに大抵何かが起きる。出かける間際にどのハンカチを持っていくかで一瞬迷った、など。もっと大きなファクターとしては、電車にぎりぎりで乗れなかったなどのこともあるだろう。そこで会社への到着時間を正確に記録すると、8時32分、29分、30分、29分、33分、30分、29分、などとなっていくだろう。ここには揺らぎが存在する。30分を中心にしてプラスマイナス3分くらいだろう。ところが、8時半調度に着いた日を取り出し、秒単位での値を見ると、8時30分10秒、8時30分25秒、などと揺らいでいる。より精度を高めてみていくと、そこにも揺らぎがあり、これはフラクタルである。すると8時30分10秒に到着したときと、25秒に到着したときで何が違うのか、という議論になる。セッションに着いた時間を秒単位で測定し「あなたは今日は5秒遅れましたね」と指摘する治療者などいないだろう。(いや、いるかもしれないが・・・)。ところがこれを細かくチェックするのがJRだろう。あるいは地下鉄もそうだ。どこかで聞いたことがあるが、地下鉄のダイヤは5秒単位だという。つまり8時30分到着、と言っても実は8時30分25秒、などと定められているらしい。すると5秒の「遅れ」は重要になってくる。それこそドアに駆け込んだ乗客が独りいて、締め直しをしたために遅れた、などのことがおきるだろう。
さて精神分析の創始者のフロイトは、この種の行動の変化が何らかの理由により生じていたと考えたわけだ。特にそれを「抵抗」と考えた。5分遅れたら「あなたは今日は来たくなかったのでしょうか?」あるいは「私に対して、意識出来ない程度の怒りを感じていませんか? いえいえ、無意識のことだから分からないかもしれませんが。」あるいは5分早く着いても「私から遅れを指摘されないために、ことさら早く着くようにしていませんか?」あるいはちょうどに着いたら「私にきちんと時間を守る人だと思われたいという気持ちが表れていますね。」まあ、最後の方は「抵抗」とはいえないだろうが。
おかしな話に聞こえるかもしれないが、私は精神分析を学んだとき、この理屈に心から感動したのである。