2019年2月1日金曜日

解離の心理療法 推敲 3


3.治療者にたどり着くまで

こうして患者さんの多くは生きる上での困難がありながら、問題をひとりで抱え込んでいます。その間に症状が進めば、ご本人が困るだけでなく、周囲を巻き込む問題が頻繁に起こるようになります。トラブルに見舞われた家族や周囲によって治療の場に連れて来られた患者さんの思いは様々です。本人に病識が欠如していれば受診に拒否的となり、初診まで歳月を要することも稀ではありません。
その一方では自らの症状や交代人格の存在を把握し、積極的に治療を求めて来談する患者さんも増えています。近年ではDID映画や小説で取り上げられることも増えています。過去にさかのぼっても、小説では「ジキル博士とハイド氏」、「24人のビリーミリガン」、「十三番目の人格ISOLA」、「プラチナデータ」、映画では「サイコ」、「ファイトクラブ」、「シークレットウィンドウ」、「スプリット」その他がありました。(とはいえ、魔法の薬を飲んで体まで変身してしまうジキルとハイドの話は、とてもDIDとは程遠いのですが…)。患者さん自身がメディアに登場することもあれば、インターネット上に日常を綴ったブログを掲載する人もいます。一部の人は理解者を求めて専門医のもとに殺到し、治療の初回から交代人格の数や特徴を一覧にしたプロフィールを持参することもあります。
一般に患者さんが治療者を尋ねるまでの経緯には、以下のような場合があるようです。
・本人や家族が症状を書籍やインターネットで調べ、解離性障害という病名にたどり着くケース
・家族や周囲の知人たちがあらかじめ解離性障害の知識をもっており、本人にその疑いがあることを伝えるケース
・家族や周囲の知人たちが本人の状態を心配し、医療への受診を勧めることで初めて自分の問題に気がつくケース

ご自身も解離性障害であるとは知らず、治療者の側もそれを予想せずに最初の診察や相談が開始することもあり、その場合は治療を通して初めて実態が明らかになります。

精神科受診がゴールではない

一つここで申しあげなくてはならないのは、解離性障害に関しては、精神科医の受診が一つの到達点ないしはゴールとは考えられないということです。私たちは通常何か病気があった場合、その専門家の判断を仰ぐことをまず考え、そこで下される診断はおそらく正しいものとして受け入れるでしょう。それは内科や外科の病気に関してはある程度いえることです。ところが精神科に関しては、なかなかそうは言えないという事情があります。皆さんは奇妙なこととお考えになるかもしれませんが、こと解離性障害、特にDIDに関しては、精神科医の中には最初からその存在が頭にないという人が少なくありません。一昔前なら、医学部時代の精神医学の講義に「解離性障害」は登場しなかったという事情があります。そして精神科医としての初期の訓練を受けても、そこで解離性障害の患者さんに出会ったり、そのような病気について教育を受けることはあまりないのです。このような現象は精神医学に属する様々な診断の中でもあまり例がないのです。
解離性障害について馴染みのない精神科医が、それを診断として頭に思い浮かべないというのは不幸なことですが、それを複雑にするのが、多くの精神科医にとってとても馴染みのある統合失調症の存在です。そして解離性障害の方の訴えと統合失調症の方のそれは少し似たところがあります。頭の中でかなりはっきりとした声が聞こえる幻聴などはその主たるものと言えるでしょう。そのため解離性障害の訴えは統合失調症と理解され、処理されるということが往々にしておきます。
少し話がそれますが、統合失調症はかなり早くからその兆候が表れることが多く、それが疑われた時点で早めに薬物治療を行うことでその悪化を防いだり、遅らせたりできるという考えが精神科医の間に根強くあります。そしていかに早く統合失調症を見つけ、治療を開始するかは精神科医の経験と腕の見せ所である、という考え方がずっとありました。昔の精神科の医局には、統合失調症(昔は精神分裂病と呼んでいましたが)の兆候をかなり早くから嗅ぎ分ける名人のような先輩医師がいたものです。そこで解離性障害に関しても、「疑わしきは」とりあえず統合失調症の表れと見立てて治療を開始するということが多くの精神科医によってなされているのです。
するとそこで統合失調症の悪化を予防するための薬物療法が開始され、その結果として長い間の時間が無駄に過ぎてしまう場合があるのです。通常は一人の医師にかかるということは、その患者さんが別の医師に会い新たな診断を下してもらうという時期を年単位で遅らせてしまうものです。特に日本では担当の先生に失礼にあたる、という懸念から容易にセカンドオピニオンを求めることが出来ないという事情があります。すると精神科を受診して誤診を受け、それに基づいた治療を行うということは、ゴールどころか回り道になってしまう可能性もあります。そのためにも患者さん自身や家族が正しい知識を身に着けることがとても重要になってきます。そして本書の目的の一つはその機会を提供することにあるのです。