◆第1章 解離の患者さんとの出会い方
1.はじめに
DIDをはじめとする解離性障害を持つ患者さんは、自分自身に起きている症状や体験の数々について、特に疑問に思ったりすることなく過ごしていることがよくあります。症状が子どもの頃からあれば、もうそれは生活の一部になっているでしょうし、それに何か困ったことがあっても他者に打ち明けないままでいることは、解離の患者さんにはよくあることです。こうして解離性障害を持っているという自覚のないまま日常生活を送り、医療機関を受診するまでに長い年月を要することは少なくありません。中には子どもの頃から生活に支障をきたすほどの症状がありながら、それでも何とか人生を送っている場合もあります。
自分の解離体験について人に話さない、という傾向は、「自分が人とはかなり違うらしい」、「他の人には私のようなことはおきていないらしい」という自覚が芽生えた後は、よりいっそう顕著になる可能性があります。「私の中に何人かがいるなんて、とても人に話せませんでした。」「人が自分を異常者扱いするに違いないと思いました。」という患者さんたちからの声はしばしば耳にします。DIDの症状があまり人目につかず、明らかにされないという傾向の一端は、患者さんたちの「人に知られたくない」という気持ちも影響していると考えられるのです。
ここではDIDの一般的な症状を取り上げ、受診に至るまでの様々な経緯のいくつかを具体的に紹介します。
2.日常生活をに見られる症状の数々
患者さんが日常生活において症状と自覚しないまま見過ごしてしまうことの多い現象には、下記のようなものがあります。いずれも比較的急に始まり、また急に終わる傾向にありますが、何日かかけて徐々に起きたり、おさまったりする場合もあります。
朝、目覚めると部屋の様子が変わっている、誰かが出入りしたような跡がある、購入した覚えのない持ち物や日用品が増えている、誰かと食事したらしい店のレシートがみつかり、記憶のないメールやラインのやりとりが履歴に残っていたり、削除された形跡があったりする。
交代人格の出現を伴うDIDでは、ご本人の気づかないうちに別人格が行動するようになると、生活に目に見えた異変が現れます。家族や周囲の人々に指摘を受けて気づくこともあり、何らかのトラブルに発展して初めて明らかになることさえあります。こうした現実的な問題に前後して患者さんの内面にも様々な変化が現れます。身体症状として次のような体験をもつこともあります。
ふとしたきっかけで、頭の中が騒がしくなる。ざわざわとした音が絶え間なく聞こえ、大勢の人々が話し合っている声がする。耳を澄ますと、どうやら自分のことを責めたり怒ったりしているらしい。時には自分の内側から話しかけてくる人の声がはっきりと聞こえる。
突然耳が聞こえなくなり、声が出なくなる。全身が脱力し、体を起こすことができずに寝たきりになる。活字がバーコードのように見えて、文字が読めなくなる。あるいは手は動くのに文字だけ書けなくなる。急に話し方を忘れてしまい、「あー、うー」というような声しか出せなくなる。
目の前の景色が歪み、足元の地面が柔らかくなったように感じ、うまく立っていられなくなる。話している相手の姿が小さく縮んで見えたり、急に大きくなったりする。外の世界から色が抜けたように暗くなったかと思うと、燃え盛っているように真っ赤になる。
これらの症状の改善を求めて内科医のもとを訪れても、結局は精神科の受診を奨められるわけですが、精神科でもその状態が解離症状と判断されずに、統合失調症など他の疾患と誤診されることも未だにあります。視覚や聴覚に関わる異常については、眼科や耳鼻科に回されて何度専門的な検査をしても異常が見られず、原因不明のまま返されてしまうこともありえます。
同じような症状が子どもの頃からあり、長期化している場合には、ご本人がそれを普通のこととして特に違和感なく過ごしていることもあるようです。幼児期から児童期に多くみられるイマジナリー・コンパニオンの存在もその一つといえるでしょう。例えばそれは、こんなふうに起きています。
ひとりでいると、いつの間にか部屋に友だちが遊びに来ている。一緒に絵本を見たり、話をしたりして過ごすうちに気づくといなくなっている。何日かするとまたどこからともなく表れて、しばらく一緒に遊んでくれる。
イマジナリー・コンパニオンは一過性に表れてその後消えてしまうこともありますが、その存在が本人の中で影響力をもつようになり、日常的な関わりが増え行動を共にするようになってくると、その後にDIDの交代人格としての性質を帯びてくる場合もあります。
またこれまで述べてきたような症状とは異なり、トラウマ記憶のフラッシュバックが繰り返し起きることで、異常に気づくこともあります。
何の前触れもなく、過去の出来事の場面が思い浮かび、恐怖に襲われる。動悸がして過呼吸状態となり、意識を失いかける。体のあちこちに痛みが走り、苦しさで身動きできなくなる。
特定の場面が何度も目の前に表れ、あたかもそれが今起きているように感じて度々恐怖に襲われても、患者さん自身は必ずしもそれをトラウマと結びつけては考えていないことも多いのです。一方でかつて自身が体験した出来事との関連にうすうす気づいてはいても、その記憶を想起し、第三者に語るのを恐れている場合もあります。