症状は演技?と自分を疑うヒサヨさん(20代女性、介護職)
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解離性障害の人は誰かに言われた言葉や考えがそのまま取り込まれてしまい、それらが自分の感覚とはかけ離れた意見や指摘であっても、そのまま心に残ってしまい、突然よみがえってくることがあります。一般の人々の生活でも、これに近いことはある程度は起きることがありますが、解離性障害の場合にはそれが極端に生じます。その結果としてこの例のように、一方では症状を実際に生きながら、他方ではそれは演技だという考えも浮かぶという矛盾した体験を持つことになります。そしてこのことは医療者側にさらに混乱や疑念を招くという悪循環を起こすことになります。「人格の存在は演技である」という一種の「神話」はこうやって継承されてしまう可能性があります。
最初は脳の障害を疑われたダイキさん(30代独身男性、技術職)
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ダイキさんの例は、追い詰められた状況でピンチヒッターとして登場した交代人格が主人格に代わり一層無理を重ね、人格全体を破綻に追い込む過程をよく示しています。その場の苦難を乗り越えるために人格システムが引き起こす行動が、その人を一層追い込む結果になるのです。このようなケースでは患者さんが陥っている悪循環にどう介入するか見極めることが、治療の出発点となります。ちなみにダイキさんの記憶喪失は一過性のものでしたが、仕事のストレスから過去のすべての生活史を失い、それが長い間戻らないケースもあります。いわゆる解離性遁走と呼ばれる状態がそれに相当します。
複雑系 3
複雑系 3
もう少しこのテーマについてきちんと調べて書かなくてはならない。そこで登場するのがシュナイダーの精神病理学テキスト。スキャンしたPDFがあるので難なく取り出してみる。やっぱり自炊しておいてよかったなあ。
Schneider, K (1962) Klinische Psychopathologie. Sechste, verbesserte Auflage Georg Thieme Verlag. Stuttgart クルト・シュナイダー (著), 平井 静也 鹿子木敏範(訳)(1977) 臨床精神病理学. 増補第6版. 文光堂.
Schneider, K (1962) Klinische Psychopathologie. Sechste, verbesserte Auflage Georg Thieme Verlag. Stuttgart クルト・シュナイダー (著), 平井 静也 鹿子木敏範(訳)(1977) 臨床精神病理学. 増補第6版. 文光堂.
心因反応はシュナイダーが「体験反応」として以下のように書いている。「そもそも数十年前にヤスパースが言っていたことだが、1.原因となる体験がなかったら、その反応体験は起きなかっただろう。2.その状態の内容、主題は、原因との関連で了解可能である。3.原因が去ればその状態も改善する。
つまり昨日書いた内容と同じである。さてシュナイダーのテキストにてっきり書いてあると思った「内因」の定義がほとんど書かれていない! 昔高いお金を出したテキストなのに!ということでMerriam-Webster (ネット版)で調べてみると(やはり日本語の辞書じゃねえ)こんなことが書いてある。
Endogenous (内因の)
1: growing
or produced by growth from deep tissue.
2: a. caused
by factors inside the organism or system suffered. b. produced or
synthesized within the organism or system.
つまり問題となった組織の深い部分から生み出された、とかなんとか書いてある。ここで組織というのは脳だとすると、脳そのものの病気によるものが「内因性」ということになる。なんだか別に調べなくても最初から分かっていたことだが、まあ論文を書くとはこんなことをするのだ。
つまりこうだ。心因性の病気とはある体験から、了解可能な形で起きる反応。
内因性の病気とは、脳そのものの病気が原因で起きるもの。体験は関係なし、というわけだ。いっけんすごくわかりやすい分類だが、実はこれがどうして問題かと言えば、両者はしばしば複雑に絡み合っているからだ。そしてその絡み合い、相互の関係性が現代の精神医学においてもしばしば理解が難しいということである。わかりやすい例として、心因性の例として、Aさんが仕事をクビになって鬱になった、というのを考え、内因性として、Bさんが何もきっかけもないのに鬱になったという場合を考えよう。すごくわかりやすい例と思われるかもしれないが、そこにいろいろな事情を加味すると一気にわからなくなる。例えばAさんはこれまで何度もクビになったが、鬱になったことがなく、すぐ別の仕事を探し始めていた。それなのに今回だけなぜか深刻に落ち込んでしまったとしよう。そういえばAさんはここ数年酒の量が増え、体力が落ちていたかもしれない。あるいは彼の父親もちょうどこのくらいの年代で鬱を発症していたことがわかる・・・・。あるいはBさん。実は一年前にカミさんに出て行かれ、寂しそうにしていたらしい。あるいは実は半年前から精神分析を受け始め、自分自身に向き合うことが増えていたらしい(精神分析関係の先生方、スミマセン)。そう、脳独自の病気も、心因も微妙なものが非常に多く、しばしば両者は絡み合い、明確に心因性か内因性かを区別できないことがとても多いのである。(こんな例はどうか。最近夫婦仲が冷え切っていて、夫は落ち込みがちになり、寂しさを酒で紛らわすことが多くなり、仕事を休みがちになり、そのような夫に愛想を尽かした妻からさらに冷たくされ、夫はアルコール中毒気味となり、それがさらなる鬱を引き起こしてしまった・・・・。)