タツヤさんの例では、フェレンツイのいう「攻撃者への同一化」のうち、タツヤさん自身の立場を守る側の攻撃者としての交代人格が形成されました。まるで彼の両親と同じような攻撃的態度で、立場を逆転させて両親を攻撃してくる人格です。タツヤさんは強い自己否定と周囲への過剰適応の傾向をもつ一方で、それとは対照的な排他的批判的態度を示す交代人格を持つようになったわけです。前者と後者はいずれも他者との関係において対等ではなく、極端な上下関係や支配―服従の関係にあるという意味で、表裏一体とみることもできます。これら極端な対人関係の在り方は、次に述べるように治療者との関係の中にも展開するようになります。
7.治療関係に起きるトラウマの再現
上に述べたような対人関係の問題に取り組む過程で、治療者と患者の関係も力動的に変化します。治療開始直後は不信と不安でいっぱいだった患者さんも、治療者の肯定的な姿勢や一貫した中立的態度に徐々に心を開き、少しずつ信頼を寄せてくれるようになります。その一方でこれまで親密な対象との間で繰り返されてきた否定的な情緒体験が賦活され、相手の期待に応えられなければ見捨てられるのではないかという不安が高まります。
解離性障害の患者さんは、治療においても過剰適応の様式を無意識に反復し、特に治療の初期においては治療者の方針や治療スタイルに合わせようとすることがほとんどです。その結果次第に無理が生じ、やがて行き詰まると様々な解離症状が悪化し、これまでに述べたような問題行動が現れてくる可能性があります。この段階でも本人(主人格)は不満を自覚していないことのほうが多く、それらの不満や憤りは、別人格の言動を通して治療者に突き付けられます。それらの人格たちと話し合い、信頼関係を形成することができれば、治療の最初の壁を切り崩し、次の段階に進むことができます。
治療者への陰性感情をもつ交代人格たちは治療に懐疑的、批判的であり、治療者に直接それを向けてきます。以前は治療に協力的だった人格の態度が豹変することもあります。この時には治療者に否定的な感情を向けてくる人格ひとりひとりの言い分を聞き、誠実に対話することが必要です。それらの人格が治療者の前に出てきた時点で、一定の望みがあると考えてよいでしょう。彼らは自らの目で治療者がどんな人間が確かめようとします。治療者と直面する準備が整うと、陰性感情をもった人格が表に出て来るのです。そうでない時には治療者の前には姿を見せず、治療枠の外で治療を妨害しようとします。面接開始直前に主人格と入れ替わったり、セッションの最中に眠ってしまったり、自傷行為に及んだりと、治療に来られない状況を作り出すこともあります。
彼らのもつ治療への不信は、治療への期待の裏返しでもあります。患者の対人不信は、誰かを信じたいという切実な思いを秘めているものです。その出会いを歓迎し、治療者の側から積極的に交流しようとする姿勢が大切です。患者の中のあらゆる人格とそれぞれ信頼関係を結ぶことができれば、治療の場は患者にとっても安心できる空間となります。その状況が整うに連れて、過去のトラウマが想起されるようになります。
対人緊張の強いユカさん(30代女性、医療職)
(中略)
先ほども述べたように交代人格は主人格のコントロールを越えた領域に存在し、主人格とは異なる意見や考えをもつのが一般的です。だからこそ主人格の記憶していない事実を把握し、主人格が気づけない発想や視点をもつことも多いのです。彼らに備わった力を引き出すことで、人格全体が救われる方向を見出すことが可能となります。そのために治療者は人格たちと表面的に関わるのではなく、できるかぎり深く話し合うべきなのです。治療的な対話を重ねる中でそれぞれの人格が成長し、発展的な変化を遂げていきます。我々治療者が一方的に患者を治すのではなく、人格全体がもつ自然な治癒力を導き出すことで、真の意味での治癒に向かうことができるのです。