2019年2月18日月曜日

解離の心理療法 推敲 14、複雑系 9


3. 交代人格は「抑圧された心」とは異なる

交代人格の行動には患者さんの内部に起きている問題を知る手がかりが含まれていますから、それについて本人と話し合うことは重要です。ただし交代人格の示す様々な情緒は、あくまでもその人格が持っているものであり、それを主人格、ないしは別の交代人格が抑圧している部分とは考えないほうがよいでしょう。この点を理解することはとても大事ですが、同時に難しいことでもあります。多くの治療者や援助者が「あなたはAさん(別の人格)が言えないでいることを代わって言ってあげているのですね。」と言って理解を示したつもりでも、当人は「どうして私自身の気持ちとして理解してくれないのだろうか?」と感じている可能性があります。それは治療者や援助者にとって、人が複数の別々の心を持つという事態がうまく飲み込めないからです。「心は一つ」ということは多くの私たちにとって疑う余地のない常識となっているからです。
「心は一人に一つ」は、ある意味では錯覚で、ある意味ではその通りである

私たちは人の心は一つしかない、と考えがちです。そしてある意味ではその通りです。私は私であり、昨日の私も、明日の私も、一時間前の私も、そして一時間後の私も同じ私です。心は一つであり、DIDの患者さんの心もまたひとつのまとまりと考えれば、交代人格の情緒はあくまでも主たる人格の意識下に抑圧されたものとみることもできます。しかし多くの場合DIDの交代人格は主たる人格のコントロールできない領域にある、いわば別人であることを忘れてはなりません。


少し矛盾するかもしれませんが、心が一つ、という感覚はそれぞれの交代人格一人一人については当てはまっている、と言えそうです。交代人格Aさんは自分は一人の自分と考えるのと同じように、交代人格Bさんも、自分は唯一の自分と感じているはずです。自分が唯一、心も一つであるからこそ、AさんはBさんとも異なる独自の存在という確信を持てます。すると、Aさんがしばらく外に出ていて、それからBさんが出てきてその間はAさんは眠っていて(あるいは後ろから観察していて)、また再びBさんに代わってAさんが出てくる、という一連の流れを考えた場合、Aさんにとっての体験は、「私は一つの心であり、先ほどBさんが出ている時は、その間は寝ていた(あるいは後ろで観察していた)」という体験になります。これは事実上「心は一つ」という体験と同じです。その意味ではDIDの状態は「心が一つとは感じていない状態」というよりは「心は一つと感じている人格が複数存在する状態」と表現することが、より正確ということになります。
 さてここまでお読みになって、「では抑圧とはなんだろう?」 とお考えになった人はそれだけで大正解です。精神分析で言う抑圧とは、フロイトが考え出した考えものです。私たちが意識レベルで考えたくないことに対して行う心の働き、という意味です。つまりこの抑圧と無意識という考えはセットになっています。なぜなら抑圧されたものは、無意識という意識できない心の部分に押し込められる、というのがフロイトの説だからです。ということはAさんの心にとって意識できない別人格Bさんの心は、フロイトの説では、Aさんの無意識にあることになります。フロイトの説では、そこにしか行き場所がないのです。なぜなら、フロイトは心は一つである、という前提を決して変えなかったからです。
AさんとBさんという二つの心の話をしようにも、結局一つの心の話になってしまう・・・・。これは矛盾しているし、不都合ですね。しかしフロイトの作り上げた精神分析の世界ではそのように理解するしかありません。でもこれは解離という現象を扱うには不都合なのです。
もちろん別人格の中には、主たる人格が扱えなかったり意識したくなかったりする部分が反映されていることもあります。たとえばAさんが人に対してノーと言えない傾向があるとしたら、はっきりとした意見を持ち主張できるBさんは、Aさんが抑えている部分という風にも考えられます。この様に交代人格の意識や感情が患者さんの抑圧が反映されたものであるという見方は、患者さんの全体状況を理解する上で役に立つこともあります。しかしそれがすべての状況に当てはまるとは限りません。たとえば別の交代人格CさんはBさんと同じく自己主張が出来るものの少し異なった性格を有するという場合、Bさん以外にCさんが形成された理由はこのような分析的な理解では説明できなくなってしまいます。結局それぞれの交代人格が異なる考えや感情をもつ可能性があるという実態に目を向けることが、症状をより深く理解する上での助けとなります。

複雑系 9

このように、心因という言葉は使われなくなってきたわけだが、それはいつからだろうか?ちょっと1980年のDSM-IIIに行ってみた。すると転換性障害についてこう書いてある。「身体的な障害に一見見えるが、心理的な葛藤なニードの表現のように思われるもの。」The essential feature is a clinical picture in which the predominant disturbance is a loss of or alteration in physical functioning that suggests physical disorder but which instead is apparently an expression of a psychological conflict or need. ほら、DSM-IIIにはまだ心因=ワザと、というニュアンスが残っている。疾病利得的なにおいをかぎ取っているのだ。そしてよく読むと、「疾病利得が特徴」とも書いてある。ところがDSM-5では、「転換性障害には疾病利得は特徴的でない」、と正反対のことが明記してある。これは大発見だ!(自分で言っているだけである。)
そこでこの表現が変わったのはいつかを調べる。1994年のDSM-IVを読むと、ちょうど過渡期であるということがわかる。記載は長く、言い訳がましい。ひとことで言えば、疾病利得ということが言われてきているが、気を付けて使いましょうね。患者さんがわざと症状を示していると思っていると誤解されますよ、というわけだ。Traditionally, the term conversion derived from the hypothesis that the individual's somatic symptom represents a symbolic resolution of an unconscious psychological conflict, reducing anxiety and serving to keep the conflict out of awareness ("primary gain"). The individual might also derive "secondary gain" from the conversion symptom- that is, external benefits are obtained or noxious duties or responsibilities are evaded. Although the DSM-IV criteria set for Conversion Disorder does not necessarily imply that the symptoms involve such constructs, it does require that psychological factors be associated with their onset or exacerbation. Because psychological factors are so ubiquitously present in relation to general medical conditions, it can be difficult to establish whether a specific psychological factor is etiologically related to the symptom or deficit. However, a close temporal relationship between a conflict or stressor and the initiation or exacerbation of a symptom may be helpful in this determination, especially if the person has developed conversion symptoms under similar circumstances in the past. Although the individual may derive secondary gain from the conversion symptom, unlike in Malingering or Factitious Disorder the symptoms are not intentionally produced to obtain the benefits. The determination that a symptom is not intentionally produced or feigned can also be difficult. Generally, it must be inferred from a careful evaluation of the context in which the symptom develops, especially relative to potential external rewards or the assumption of the sick role. Supplementing the person's self-report with additional sources of information (e.g., from associates or records) may be helpful.
 つまり心因に関する考え方は、アメリカの精神医学では1980年→1994年→2013年の間に大幅に変化していたのである!!