2019年1月20日日曜日

忘れていたCPTSD 推敲 3


今日はペン字体である

5点目の関係性、逆転移の重視については、CPTSDを有する来談者の治療に当たって最も重要な意味を持つ可能性がある。トラウマを体験した人との治療関係においては、それが十分な安全性を持ち、また癒しの役割を果たすべきであるということはすでに述べた。トラウマを扱うための治療関係が来談者に新たなストレスを体験させたり、支配-被支配の関係をなぞったりする事になれば、それは治療的な意味を損なうばかりではなく、新たなトラウマを生み出す関係性になりかねない。精神分析的な治療においては、来談者の洞察やこれまで否認や抑圧を受けていた心的内容への探求が重要視されるが、それは安全で癒しを与える環境で十分にトラウマが扱われることを前提としているのである。
トラウマを受けた来談者を前にした治療者は、しばしばそのトラウマの内容に大きな情緒的な影響を受け、それを十分に扱えなかったり、逆にそれらへの来談者の直面化を急いだりする傾向が見られるが、いずれも治療者自身の個人的な情緒的反応が関係していることが多い。ここで治療者の側の逆転移の要素を考えるならば、たとえば治療者の救済願望がやはり大きいと言える。ただしこれはそれが全く生じない場合を考えてみればわかるとおり、むしろ期待の持てる逆転移といえる。そしてそれは常に意識し、目を向け続けなくてはならないものといえる。来談者への気持ちに常に適度なブレーキをかけ続ける治療関係がむしろ望ましいのであろう。そしてこの逆転移が治療に対してネガティブな影響を持つのは、それがくじかれたり裏切られたりした時の治療者の反応如何ということになる。例えば来談者が連絡なしにキャンセルをするということはしばしば起きるだろう。あるいは別の治療者にセカンドオピニオンを求めることもあるかもしれない。それに失望や落胆などにより極端に反応する場合には、その救済願望は自己愛という混ざりものを含み過ぎていることを意味するのであろう。
治療者のサディズムはもう一つの重要な逆転移といえるかもしれない。治療者は治療の過程でしばしば、来談者が昔陥っていたような関係、つまり治療者の前で受け身的であたかも攻撃されることを待っているかのような態度を示すことにもなりかねない。少しきついアドバイスや苦言は、表面上は配慮や善意の衣を着ていても、そこに棘が隠されているかもしれない。あるいはそうであるような疑いを抱かせるだけでも同様の力を持ってしまう。無論治療者の持つサディズムはその人生の中で長い歴史を持ち、その根源をたどることさえ不可能かもしれない。治療者は自らそれに気が付くしかないが、一つ参考に次のようなことを考えてみればいい。
「過去の人間関係の中で、急に弱い立場に立たされたり、試練を経験しなくてはならない人に自分はどのような態度をとってきただろうか。ライバルの失敗に救いの手を差し伸べることに積極的になれただろうか? あるいは小、中学校の時に虐めが周囲で発生した時、第三者としての自分がどのような気持を持っただろうか?」これらは治療者の中に眠っているサディズムの指標として重要になるだろう。
最後に第6点目として付け加えたいのは、治療者は倫理原則を遵守すべしということであるが、これについてはもう改めて述べる必要もないかもしれない。トラウマ治療に限らず、精神療法一般において倫理原則の遵守は最も大切なものだが(岡野、2016)、ともすると治療技法として掲げられたプロトコールにいかに従うかが頻繁に問われる傾向の陰に隠れてしまう可能性がある。トラウマを体験した来談者の場合に特にこの倫理原則が留意されるべきなのは、来談者は自分がまた被害に遭うのではないか、搾取されるのではないかという懸念をきわめて強く持ち、それは治療者にも向けられる可能性が高いからである。治療者の学問的な好奇心に従った質問、症例報告の承諾の際のやり取りなどが治療関係にネガティブに作用することのないよう、最大の配慮が払われなくてはならない。