また治療者が感情表現をすることが治療的であるとばかりは言い切れない。来談者によっては,治療者が一切の感情表明をひかえて受け身的に話を聞いてもらえることを何よりも安全に感じる場合もあるからである。このように個々の来談者の特殊性を十分に理解し,それに柔軟な対応を示す姿勢こそが重要なのであり,そのような態度が真の意味での中立性と言えるだろう。
第3点は愛着の問題を重視し、より関係性を重んじた治療を目指すということである。そのような視点は、いわゆる「愛着トラウマ」の概念に込められていると考えていい。CPTSDを呈する来談者は、その愛着関係の形成期にすでに深刻なトラウマが織り込まれる可能性がある。そしてそれはその人の一生にわたって影響を及ぼす可能性がある。
精神分析理論を打ち立てたフロイトは幼少時の親との体験が将来にわたって大きな影響を及ぼす点に注目したが、その点に関しては、フロイトはまさに正しかったといえる。その後フロイトは幼少時に実際に生じた性的なトラウマから、幼児の持つ性的欲動の持つ外傷性へと視点をうつし、それが後に一部から批判されることとなった。ただし愛着トラウマの視点は、その形成時に生じたであろう明白なトラウマを必ずしも前提とするわけではない。愛着トラウマの結果として、人はしばしば「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」という確信を有する。しかしこれはあからさまな虐待以外の状況でも生じる一種のミスコミュニケーションでもありうる。そこには親の側の養育態度の不十分さという要素だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならない状況である。愛着トラウマの概念にはこのような広い意味での母子間の感情の行き違いが幼少時に生じた結果として自己概念や関係性に影響を与えているという視点を提供する。治療者は過去のトラウマの想起やその治療的な扱いを治療目的とするという視点から離れ、より安全な治療関係を形成することを第一の目標にすべきであろう。ただし不完全な愛着を形成しなおすという野心に捉われるべきでもないであろう。
第4点目は、解離の概念を理解し、解離・転換症状を扱うことを回避せず、治療的にそれとかかわるという姿勢である。最近では精神分析的な治療のケース報告にも解離の症例は散見されるが、フロイトが解離に対して懐疑的な姿勢を取ったこともあり、なかなか一般の理解を得られていないのが現状である。解離を扱う際の一つの指針として挙げられるのは、来談者の症状や主張の中にその背後の意味を読むという姿勢をと同時に、その表面に現れた意味を受け取るという姿勢である。古典的な精神分析が掲げた抑圧モデルでは、来談者の表現するもの、夢、連想、ファンタジーなどについて、それが抑圧し、防衛している内容を考える方針を促す。しかし解離モデルでは、たまたま表れている心的内容は、それまで自我に十分統合されることなく隔離されていたものであり、それも平等に、そのままの形で受け入れることが要求されると言っていいであろう。この点が重要なのは、解離の症状はフラッシュバックとしての意味を有し、ある意味では過去に起きたことが再現されているからである。しかもこれは来談者の見る夢についても同様だ。来談者から折檻されている夢を見、その報告を受けた治療者は、それをある種の象徴的な意味合いを持ったものとして解釈するだろうか。ただしこの問題を考えれば直ちに納得する点がある。それはおそらくそのような夢ですらある種の加工やファンタジーを含んだものである可能性がある。その意味では来談者の示す症状や夢に、そのものが表すものと、それが象徴、ないし代弁する内容の両者を見据えるという必要が生じるのだ。