3-3 自傷の習慣化プロセス-内因性オピオイド
ふり向いて見ると、ライオンは私にとびかかろうとしていた。ライオンは私の肩をつかみ、私もライオンも地面にたおれた。ライオンは、ものすごい唸り声をあげながら、ちょうどテリヤ犬が鼠をゆすぶるように、私をゆすぶった。私はこのような衝撃をうけて、二十日鼠が最初に猫につかまえられた時に感じさせられるかと思われるような麻痺した心持にさせられた。今どんなことが起こっているかはっきりわかっていながら、痛さも恐ろしさも感じない一種夢見るような心持にさせられたのだった。クロロフォルムで局部麻酔をされている患者たちがいうのに似た心持だった。彼らは手術されるのを見ていても、刃物の痛さを感じないのである。)
これは、スコットランド出身の医師、宣教師であり、探検家として著名なリヴィングストン (1813-1873) による探検記の一節です。当時、彼が滞在していた村では、飼っていた牛が何度も野生のライオンに襲われるという事態に陥っていました。呪いをかけられていると信じ込んで、無抵抗でいた村の種族をけしかけて、リヴィングストンはライオン退治に乗り出します。そのときにこのような大ケガを負ったわけですが、彼は一切の痛みを感じませんでした。おそらく、これは脳内の報酬系に多く分泌する脳内麻薬のひとつである、内因性オピオイドの鎮痛作用によるものであったのでしょう。
自傷行為に痛みを伴わないのも、脳内に内因性オピオイド(麻薬関連物質)が放出されるためだと考えられています(松本ほか)。つまり、深刻なストレスや精神的苦痛を抱えた状況下の自傷では、生理面においてはオピオイド分泌が、一方、心理面においては解離の機制が、無感覚や麻痺状態を形成し、苦痛の軽減が図られる場合がある、というわけです。こうしたメカニズムによる自傷は、患者さん本人の精神的苦痛を生み出す問題を根本的には解決しているわけでなく、患者さんの人生の文脈から切り離された形で行為だけを学習し、処理しているにすぎません。そのため、繰り返されることになり、それによって、自傷の鎮痛効果や行為に対する恐怖感が薄れ、エスカレートしていきやすいという問題があります。その点は、薬物依存の患者さんが、薬物に耐性ができ、より刺激を求めて、事態を深刻化させてしまう経過に似ています。自傷がより深刻な事態を招くストッパーになっているとはいえ、その方法に頼り続けるわけにはいきません。安全感の得られる環境の中で、それまで切り離してきた耐え難い苦痛や不安と向き合うことが、どこかでは必要なのではないかと思います。
なお、基礎研究のレベルでは、報酬系の機能を調整する各種の遺伝子が発見されているとのことです)。今後、これらの知見に基づいて、自傷をコントロールする薬物が作られることもあるかもしれません。