2018年11月1日木曜日

パーソナリティ障害はまだ … 19


まだまだ Dutton 先生の本だ。最後になっても新しいことだらけだが、特に考えさせられるのが、P226 あたりの記述だ。サイコパスは愛他的か。Mem Mahmut 先生というマッカリ―大学の先生の実験。それは3っつからなる。まずサクラに道に迷った人を演じてもらい、サイコパスの反応を見る。次にサクラが道で書類をバラバラに落とした状況。最後に腕を骨折しているふりをしているサクラが、瓶のふたを開けようとして苦労している。助けを求める状況は1から3に行くにしたがってより微妙になるということだ。そしてそのようなドッキリ状況で正常人とサイコパスの反応を見たという。するとなんと・・・・。最後の実験などは、彼らの方が正常人よりもサクラを助けようとしたという。エーっ?
ここでダットンさんが次のように解説する。そもそもサイコパスのうちのサディスティックなグループは、相手への共感があるからこそ犯罪を犯すという。相手の苦しみを分かるから、それを与えることが楽しい。ただし共感する相手の苦しさは、彼の中では快感に変換される・・・・。彼はこの説明の中で、共感を情緒的な共感と、認知的な共感という二つに分類しているが、これって本当だろうか? この理屈、以前にも考えたことがあるのだが、自分の中では棄却していた。いじめるのが楽しいとしたら、相手の苦しみこそが快感になる。でもそれは共感だろうか? それにそのようなサイコパスなら、困っているふりのサクラを見たら、もっと困らせたり、いじめたりしたくならないのだろうか? 
一つの仮説としては、この種のサイコパスは人助けも嫌いではないということだ。ただし助けているという自己愛的な快感を生むという意味では。しかし彼はもう一つのスイッチがあり、それが押されると、相手の苦しみが快感にもなる。普段はそのサディズムのスイッチが入っていない・・・・。この説明くらいしか思いつかない。ただしこの実験は、サイコパスが常に人に悪さをしようと狙っているというわけではないし、したがって社会の中でそこそこに受け入れられることにもつながるだろう、ということだ。ダットンさんは、アメリカの有名なサイコパス、Ted Bundy を引き合いに出す。彼は傷ついたふりをして巧みに女子学生を誘惑して歯牙にかけた。でも彼もこのタイプに属するという。さっそく彼の起こした事件について読みたくなった。