2018年9月25日火曜日

ある対談 5


B先生(続き): そのあたりのところは、私達治療者側の捉え方だったり、トラウマ処理の進行具合や心理教育がどこまで進んでいるか、ということとの兼ね合いで判断される、とてもダイナミックなプロセスだと思うんです。私は個人的には第三次解離のままで、つまりいくつかの人格が統合されずに存在していても、うまく行っている人をたくさん知っています。統合を急がないとすれが、その人のANPがきちんと機能しているのであれば、それでいいではないか、という気持ちがあるからです。私達には患者を傷つけてはならない、というヒポクラテスの誓いが頭にありますので、第三次解離の人たちにも非常に気を付けて関わっています。それと治療に当たっては、やはり優しい人の方がうまく行きます。やっぱりそうですね。
A先生:1つ、いいですか?統合に代わるアイディアとしてあるのは、ANP、EP。ところでこの言葉、私あまり使わないようにしてるんですけども、でもやはり使っちゃうんですけれども、主人格が例えば怒れなかった、でも自分のなかに黒いものを感じる、というような人が、怒ることが出来るようになるというプロセスがあるわけです。例えばお母さんに対して、全部「はい、はい」って聞いていた人が、お母さんに対して、意見を言えるようになったときに、自分のなかにある黒い部分っていうのが、だんだん広がってきて自分が灰色になった気分になった、っていうような患者さんがいらっしゃいました。その方の場合には、ANPとしての主人格が、機能を広げて、スキルを蓄えて、そして、「あ、自分は、いろんな感情を持ってもいいんだ」みたいになった場合に、他の人格が出てこなくてもよくなる、だから他の人格が安心して休むことが出来るようになる、という状況に持っていくというのは、わりと求めるべき、追求するべき方針だろうと思っています。統合を目指すというよりは一人一人の柔軟性を育てていく。また私が何が何でも統合に反対するのではなく、自然に起きるのなら大変結構だと思うところがあります。私だって、患者さんが「ABが統合しました」っていうふうに言われたら、「良かったですね」だと思うんですよ。その後も、もうちょっとフォローする。ただ、治療者がかなり強制力を加えて「あなた方を統合しました」という治療があるようです。それに関しては、ちょっと異を唱えたい、そういうことをちょっと申し上げたかったんです。