2018年9月26日水曜日

ある対談 6


質問者2:今日はいろいろと解離の話を聴かせていただいて、ありがとうございました。クリニックの開業医ですが、私も統合ってあんまり考えたことないんですよね。そういう意味ではC先生のお考えと似てるんだなぁと思います。私たちは昔からずっとメーリングリスト等でやってたから思うのかもしれないのですが、僕らにもmultiplicityっていうか多重性っていうか、それをさっきは多面性とどなたかおっしゃったと思いますが、いまこうやって喋ってる私と、家にいる私、あるいは診察してる私、あるいは教壇に立ってる私、というのは、みんな違うわけですよね。でもそのことは意識して、コントロールしているわけです。ところが解離はそのコントロールを失った状態だと思っています。そしてそれを統合するかどうか、ということなんだろうと思います。私は交代人格の扱い方については、まず彼らが出てこられるということが、そこでの安心安全が確保され、安心感を持たれているからだと思うのですが、その時になぜこの人がこういうかたちで現れているのか、ということについての、まるで何か推理小説を読むようなストーリーというのを自分なりに、あるいは一緒に考えて話をしていくと、その人がその状態、その時代に受けておられない、あるいはその時代に満たされなかったものというのが明らかになり、治療者との関係や、ほかの人との関係のあり方のなかで、満たされていくものがあるように思ってるんです。それが満たされるようになってくると、子ども人格が大きくなるし、ある種、理想となっているようなかたちで大人になってきますと、年代よりかは上の人が自分らしく落ち着いてくるというか。そんなかたちで年齢層がだいたい交代人格の方たちが同じになってくるのだと思います。私自身は「寝る」という感覚はあまりわからなくて、どちらかというとバリアが消えていって、それぞれの交代人格というのは、ジグソーパズルのピースであって、そのピースの溝みたいなものがなくなっていく、融けていく、というみたいなかたちのことが最終的な到達点じゃないかなと思っています。そしてそこからのことが、そういうかたちで生きていくということが、その人にとっての必要な本当の治療じゃないかなと思ってるんです。だから統合したとしても、と言っても私はほとんど統合という言葉は使わないけれども、そのまとまった感じになる、あるいは解離という機制を使わなくなった、その時点から、解離を使わなくて生きていく、さっきはその以前出来ていたことが出来なくなってしまう、ということがあるっていうお話しもあったのですが、その状況でなるべく解離を使わないで生きていくということについて一緒に考えていこうっていうのが治療じゃないかなと思っています。

B:このテーマについてなのですが、まず多重性の対になる概念として、私はずっと多面性ということを考えてい
ます。英語ではMultifacetedness、つまり割面がたくさんある多面体を考えているのですが、私たちは普通多面的であって多重的ではないわけです。だからA先生がこうやってお話をしている時に、携帯が鳴ってお子さんが、「今日の晩ごはんはどうしたらいいの?」と聞かれて、「ちょっと待ってね」というときのB先生は、途端にお母さんになる、これが切り替えが出来るのが多面的だと思うし、我々は普通そうなっていると思うんですよね。それが多重と多面の違いだなっていうふうに思う。存在者としての私とまなざす私というSM先生の分け方も、実はこの2つは常に存在していて高速に入れ替わることが出来るんだけれども、それがどちらかに固まってしまうような状態、これが解離している状態というふうに考えることが出来ると思います。そうだとしたら、そういうたくさんの面が、高速で移ることが出来るようなある種の脳の機能を我々は備えていて、だから普通に生活が出来ているんだというようなことをちょっと考えました。もう一つ簡単にですけども、私はね、多重人格の統合ということでいつも考えるのが、ヘンゼル姉妹、ヘンゼル姉妹って日本ではよくわからないかもしれないけれど、アメリカにいるシャム双生児の、頭が二つあるブリタニーとアビゲイルという姉妹がいます。小さい頃からずっとメディアに出て、ずっとフォローされてるんだけれども、この二人がどうやって生きていくかというのは、すごく悩ましい問題で、おそらく例えば人格が二つ入れ替わりに出ていてお互いを眺めている患者さんがいらっしゃいますが、一人はAさん、もう一人はBさんを好きになって、どっちと一緒になったらいいのか、というのがわからないという状態なのです。それをどう考えるかというときに、やっぱりこのシャム双生児のモデルを考えてしまう。で、この二人が二人ともハッピーになることは、なかなか難しいかもしれないけれども、どこかで交渉をして、最終的にどうするかを二人で決めていかなくちゃいけない。そういう場を与えるのが、我々の治療かな、というふうにちょっと思ってこんなことを言いました。