2018年8月10日金曜日

他者性の問題 3

むしろ double (multiple) track theory ダブルトラック理論

トラウマにおいて生じるのは、おそらく意識にもう一つのトラックがすでに準備されていて、そちらに移ることである。もちろん仮説でしかないが。多くの場合、もう一つの人格は突然、それもかなり完成された形で登場する。あたかもどこかですでに作られていたかのようである。時にはその詳細があまり出来上がっていない状態でとりあえず成立し、急いで詳細が形成されて、アイデンティティを獲得するかのような動きを示すこともある。
 このような発想は、心が分かれるという意味でのスプリッティングという考え方とは一線を画すということをご理解いただけるだろうか? この分野ではこのテーマは、複数化 multiplication と分割division の違いとして論じられている (O'Neil, 2009
 O'Neil, John. A.2009dissociative multiplicity and psychoanalysis. (In) Dell, Paul F. (ed.)  Dissociation and the Dissociative Disorders - DSM-V and beyond., Routledge (Taylor and Francis), pp.287-325
オニール先生は果敢にフロイトのこの議論が始まった時期にまでさかのぼって話を蒸し返している。そこで問題となるのが、上に書いた、意識は分かれるのか増えるのか、ということである。心が分かれるという意見は実は識者の大半を占めている。現代的な解離理論を説いた van der Hart もそうだという。でも先ほど書いた multiple track theory (MTT) では違う。何しろ別のところに路線が準備さているからだ。比ゆ的に言えば、政府が危機に直面して二つに分かれてしまうのではなく、どこか別の場所に暫定政府が出来上がり、そこが政権を担うという感じだ。
このことって他の人は言っていないのだろうか?