2018年8月11日土曜日

解離ートラウマの身体への刻印 19


「 刻印」の持つ恣意性
ところでこの転換症状という現象への新たな理解は、本論で扱っている「トラウマの身体への刻印」という意味を大きく変えてしまいかねない重要な問題をはらむ。フロイトは転換症状において生じる現象、すなわち「リビドー的なエネルギーは身体的なinnervation 神経支配に転換される」という現象について述べたが、これは実は仮説的な説明であり、「本当のところは分からない」のであった。ある歌手に生じた失声は、「歌うことへの葛藤」により説明されるとは限らない。実際にこの例に見られるように、その大部分のケースにおいて、力動的な理解によるアプローチを拒絶し、それによる症状の改善に導くことはない。その多くは突然明確な理由なくして始まることが多く、極めて認知行動療法的な、あるいは神経学的な経路を取って改善を図るしかない。その場合、ではその症状(この場合は失声)は何を刻印しているのか?ここでこれをまったく不明と言い切ることは出来ないが、極めて恣意的であると理解するしかないのだ。
ここで少し図式的に書いてみる。
運動前野 ⇒ 高次運動野 ⇒ 一次運動野 ⇒ 脊髄 ⇒ 筋肉運動
まず運動前野には、~を歌おうという情報が、前頭前野や頭頂連合野などの連合野から送られてくる。おそらくここは正常に機能しているであろうし、だから「~の歌を歌おうとする」ところまでは行くだろう。(もしこの部分で抑制がかかったら、そもそも何の歌を歌おうか、というアイデアさえ浮かんでこなくなるはずだからだ。もちろんそのような形での転換性障害もあるかもしれないが、とりあえずそこはクリアーしていると考えよう。) 次に高次運動野は、歌を歌うというために必要なさまざまな運動、つまり肺から息を吐き出す(そのために横隔膜を弛緩させたり腹筋を緊張させることで腹圧をかける、など)、声帯を閉じる、声帯を調節する様々な筋肉を順番に緊張、ないし弛緩させて音程を変え、それをメロディーに乗せる、口の形を複雑に変えることにより歌詞を発音する・・・・・。おそらく何十という筋肉のコントロールをしなくてはならないために、この高次運動野が使われる。しかしここの部分にも邪魔は入らないのではないかと思う。この歌手はベテランであり、復帰した時は普通に歌えたのであるから。すると高次運動野から一次運動野への経路のあたりにおそらく邪魔が入り、信号が伝達されないか、余計な筋肉が同時に収縮することで「歌えない」という現象が起きる。ただしこのプロセスはほとんど皮質下、つまり無意識のプロセスである。誰も歌を歌う時、「エーッと、声帯のこの筋肉をここで緊張させて・・・」、などと考えないからだ。ということはここで生じる障害とはほとんどそれをどこにも辿ることが出来ず、その由来を知る由もないということになるだろう。