「身体への刻印」第二のタイプ
トラウマの身体への刻印の第二のタイプは症状としての身体反応、すなわちいわゆる転換症状である。ただしその詳細な機序についてはほとんど何も明確になってはいない。転換症状は臨床上は極めて多彩な形で表現されている可能性がある。それを一言で表現するならば、「機能的な神経学的症状」となる。通常は個別の随意筋による運動機能や感覚器官による感覚機能は、そこに器質因がうかがわれる際に神経学(神経内科) neurology の扱う対象になる。例えば右下肢の運動麻痺、ないしは感覚麻痺があるとしたら、右下肢を支配する運動神経や感覚神経のどこかに何らかの器質的な原因を探る。具体的には、神経が途中で切断されたり、脱髄が生じたり、骨や腫瘍その他に圧迫されていたりした場合だ。しかしそれらの病変が見つからないにもかかわらず症状がみられる場合、それは「機能的」な神経学的症状として記載する以外にない。この「機能的な」障害とは非常に苦し紛れな、しかしそれ以外に表現しようのない状態像なのである。「下肢には目に見える病変はありませんが、足は動きません」という表現であり、それは原因不明であることを言外に含んでいる。そして従来の転換性障害は最新の診断基準であ るDSM-5(2013)および ICD-11(2018)においては「機能性神経症状症 functional
neurological symptom disorder 」となっているのだ。従来の転換性障害からこの病名への移行は、同時に、いわゆる転換症状という概念そのものの信憑性が問い直されつつあることも表していると言えよう。
ところでこの本来その原因をさかのぼることを停止した状態である機能性神経症状症(障害)について、もう一歩進んで考えるとしたら何が言えるだろうか? ここでは機能性の運動障害ということに限って考えてみる。人の脳は、足に向かう神経に対して、足を動かすような信号を送るように命令する。運動野の前段階としての運動前野の働きだろう。ところがここにはほかの命令も入り込みうる。例えばサッカーの観戦をしていて思わず動きそうになった足を「動かすな!」と意思の力で止めることもあるであろうし、もう少し早く、あるいは遅く、もっと右に向かって … などと様々な指令が入る可能性がある。この場合一度足の筋肉に「動かせ」と命令を送りかけて「やはり動かすな」ともう一つの意思が加わった際には、結果的には足が動かなくても本人に違和感はないはずだ。しかし心の別の部分から「足を動かすな」という運動抑制の命令が運動前野に送られ、そしてその当人が、「足を動かすな!」という命令を意識していない場合はどうだろう?
転換症状、ないしは機能性の神経症状障害では、この不思議な事態が生じていると考えざるを得ない。ただし上述の例での運動抑制が運動前野よりさら「上流」の、たとえば帯状回運動野などの運動連合野において生じているのか、あるいは「下流の」高次運動野に生じているのかは正確には不明であるが。すると問題を突き詰めればこうなる。人の心の知らない部分が自らの意図に反する命令を下すことなどできるのであろうか?
100年前のフロイトならこう考えた。「心の中で抑圧している部分、すなわち無意識がそうさせているのだ。」そしてその意図が無意識になっているということは、その理由を当人が意識化することを拒絶しているからだ、と考えた。たとえば「足が動かないという理由で仕事を休みたい」という無意識的な願望があれば、そのような症状が成立すると考え、この抑圧によるエネルギーが症状へと転換されたという意味から「転換症状」という概念が生まれたのだ。(後に述べるように解離の理論は、脳の解離された、別の場所からの命令が生じる、と考えることになる。)
フロイトの用いた転換症状という概念は、身体症状に、心的な葛藤を置き換えたり、それを通してその葛藤を解決しようとしたりする試みで、それは身体運動や身体感覚の形式をとる。これはフロイトの経済論的な見地によるものであり、抑圧された思考から切り離されたリビドーが神経学的なエネルギーに変換される。
Laplanche J. et Pontalis, J.-B.: 1967 Vocabulaire de la psycho-analyse. Presses
Universitaires de France, Paris. 1967. (村上仁監訳 精神分析用語辞典. みすず書房1977)
しかもそこには象徴的な意味が付与される。そしてその機序については、フロイト自身が分からないと言っている。ここでのキモは、フロイト自身による以下の表現である。
「libidinal energy is transformed or converted into
a somatic innervation.」
リビドー的なエネルギーは身体的な innervation 神経支配に「転換」される、と言っているわけだが、innervation って、なんだろう?すっごく曖昧。解剖学ではこれを「神経支配」などと呼んでいるが、要するに身体に神経が通うことによるエネルギー、という曖昧な言い方しか出来ない。
リビドー的なエネルギーは身体的な innervation 神経支配に「転換」される、と言っているわけだが、innervation って、なんだろう?すっごく曖昧。解剖学ではこれを「神経支配」などと呼んでいるが、要するに身体に神経が通うことによるエネルギー、という曖昧な言い方しか出来ない。
以上をまとめるならば次のように言えるであろう。いわゆる転換性障害においては、その刻印のされ方は、トラウマ性のストレスと何らかの関連を有しているものの、その象徴性は明確でなく、その意味では刻印というよりはトラウマの事実を伝えているということが出来よう。
ただしそのように言うと誤解を与えるかもしれない。失声は、それなりに意味がある、声を出すことにまつわるトラウマにより生じたのだ、という理解を生むかもしれないからだ。しかし実際の失声は、おそらくある種のストレス下で、偶発的に選択されたというニュアンスを持つ。歌を歌うというときだけ声が出なくなってしまった歌手の場合は、仕事の継続を断念せざるを得ない症状に何らかの意味を見いだせるかもしれないが、そもそもその症状そのものがトラウマ的なストレスとしての意味を担うし、症状による疾病利得を考えることも難しい。無論仕事から離れることで、別のストレスから解放されるという意味を持っていたかもしれないが、そのように考えていくときりがなくなってしまう。その意味ではこれをトラウマの刻印としてとらえることには、様々な誤解も付きまといかねないという点をここで付記しておきたい。