2018年8月8日水曜日

解離ートラウマの身体への刻印 18


さてここで言う転換、とはどう意味だろう。例によって「ラプランシュ・ポンタリス」を参考にしてみよう。Mechanism of symptom-formation which operates in hysteria and, more specifically, in conversion hysteria (q.v.). Conversion consists in a transposition of a psychical conflict into, and its attempted resolution through, somatic symptoms which may be either of a motor nature (e.g. paralyses) or of a sensory one (e.g. localised anaesthesias or pains).

フロイトの用いた転換症状という概念は、身体症状に、心的な葛藤を置き換えたり、それを通してその葛藤を解決しようとしたりする試みで、それは身体運動や身体感覚の形式をとる。これはフロイトの経済論的な見地によるものであり、抑圧された思考から切り離されたリビドーが神経学的なエネルギーに変換される。しかもそこには象徴的な意味が付与される。そしてその機序については、フロイト自身が分からないと言っている。ここでのキモは
libidinal energy is transformed or converted into a somatic innervation.」という表現。リビドー的なエネルギーは身体的なinnervation 神経支配に「転換」される、と言っているわけだが、innervation インナーベーションって、なんだろう?すっごく曖昧。解剖学ではこれを「神経支配」などと呼んでいるが、要するに身体に神経が通うことによるエネルギー、という曖昧な言い方しか出来ない。
再び声が出ない、という症状に置き換えよう。まずある葛藤がなくてはならない。たとえば声を出すということに象徴される、仕事をする、発言する、自己主張する、ということに対する葛藤がある。つまり一方では声を出したいが、他方ではそうすることが意味する上述のことへの抵抗がある、などの状況である。さらに具体的には、歌手が歌を歌うことへの葛藤を体験し、それが声帯を震わすという神経活動の邪魔をする。それにより声が出なくなったと言うわけである。自分の失声症状について公にしている歌手のMであれば、それは歌を歌うことへの葛藤、ということになる。
さてフロイトのこの説明は福音であるとともに厄介な問題をもたらした。まず福音としては、転換症状にある種の理解の仕方をもたらしたからだ。それまで突然声が出なくなる症状を示すヒステリー患者についての理解の手立てはまったくなかった。ところがフロイトはそれに転換という概念とともに説明の手段を与えてくれたのだ。ところが問題は、その説明が当てはまらないようなケースがおそらく大多数であるということ、そして転換という概念の妥当性を確かめられないということであった。
たとえば歌手のM。彼が歌を歌うことに対する葛藤を持っていたかはわからない。しかし14年間という血のにじむようなリハビリをしたということは、歌いたいという願望がはるかに勝っていたことを意味するのであろう。「歌いたい」という気持ちと、「歌いたくない」という気持ちが拮抗していて初めて葛藤と言えるだろう。その意味ではMの失声(しかも日常会話は問題がなかったという)は容易には説明が付かない。歌いたくないという抑圧された願望について治療で扱っても症状が消えないとすればなおさらだ。ところがフロイトは、そして精神分析家は次のように言うだろう。「いや、どこかに隠された願望が、いまだに抑圧されたままで潜んでいるかもしれない。その意味では精神分析が足りないのかもしれない。」この説が間違いであるという決定的な証拠はありえないのである。