2018年8月6日月曜日

解離―トラウマの身体への刻印 17


  これまで本のまとめばかりしていたが、そろそろ何かを書き出さなくてはならない。このテーマが「解離―トラウマの身体への刻印」ということであるが、実は難しいテーマである。というのもトラウマが身体に刻印される現象は普通は転換 conversion として捉えられるからだ。もちろんICDのように転換も解離に含まれるという分類もあるが、ふつうの用法であれば、解離は精神症状を表す事になる。
 トラウマの身体への刻印として、二種類を提示することにしよう。一種類はフラッシュバックに伴う身体反応である。これはある程度その性質が知られている。もう一つは転換症状としての身体反応であり、おそらくこの機序はほとんど知られていないのである。
1の反応についてはその仕組みをバンデアコークの書著をもとにまとめてみよう。
Bessel van der Kolk (2015) The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma Penguin Books  (柴田 裕之翻訳 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法紀伊国屋書店2016)
大脳皮質に入ってきた多くの断片的な情報は、視床という部位に送られる。そこで出来事に大まかな意味が与えられる。たとえば森を歩いていたら、長い棒状のものが上から降ってきたとしよう。視床が意味を作り上げるのは、おそらくこのレベルだ。視覚野から送られてくる情報を集め、長い物体を認識し、それが上から接近してくるという動きを伴う。そしてその次に起きるのが、扁桃核と前頭葉への情報の伝達ということになる。扁桃核の刺激は視床で得られた情報から、「大変だ、蛇に襲われた」都いう反応を生じ、それは視床下部へと伝達され、種々のストレスホルモンが放出されると同時に、心臓の活動が昂進し、血圧が上昇し、筋肉への血流が増大する。こうして人は闘争逃避反応を見せることになる。

さて第2の身体反応、すなわち転換症状に関しては、その機序は全くと言っていいほどわかっていない。しかしながら患者はこれを頻繁に体験する。こちらはその症状の性質のつかめなさは、解離現象のつかめなさでもある。それをひとことで言うならば、神経性の疾患の症状の症状なのだ。これをDSM5ではこう言っている。機能性神経症状症 functional neurological symptom disorder つまり神経内科で扱うべき症状でありながら、機能的であるということだ。たとえば片足が麻痺したとする。神経内科では、そこに何らかの器質的な原因を探る。たとえば神経が途中で切断されたり、圧迫されていたりした場合だ。ところが神経は正常につながっている。しかしそれでも足が動かない。そのような場合だ。ここで「機能的」というのは非常に苦し紛れな、しかしそれ以外に表現しようのない問題なのである。足は神経自体に問題がない。しかし機能的には異常がある。つまり動かす、という機能が発揮されていない。これは更にどういうことか。人の脳は、足に向かう神経に対して、足を動かすような信号を送るように命令する。運動野の前段階としての運動前野の働きだろう。ところがここにはほかの命令も入り込む。「足を動かすな!」とか。そして実際に「足を動かせ」という命令と「足を動かすな!」という命令が共存しているために、その人は足を動かせない。さてここで一つの問題がある。その当人が、「足を動かすな!」という命令を意識しない場合はどうだろう? その命令が、その人の心の別のところからやってきていたら?
100年前のフロイトならこう考えた。「心の中で抑圧している部分、すなわち無意識がそうさせているのだ。」そしてその意図が無意識になっているということは、その理由を意識化したくないのだ。たとえば「足が動かなければ、仕事をさぼれるから。」ところがもし無意識以外の別の場所からその「足を動かすな」という命令が来ているとしたら? 解離の理論は、脳の解離された、別の場所からの命令が生じる、と考えるのである。