2018年7月24日火曜日

解離―トラウマの身体への刻印 4


フロイトの概念である事後性Nachträglichkeit, après coup) これもまた身体への刻印というテーマに結びついている。ちょっとコピペしてみる。
外傷的経験日本大百科全書(ニッポニカ)より フロイトがもっとも一般的な外傷的経験とみなすものは、幼児期に大人から性的に誘惑されたことを後年(思春期)になって思い出す経験である。しかし幼児期に誘惑を受けたというのは、思春期になってつくりだされた空想であって、実際に誘惑されたか否かとはあまり関係がないとも考えられる。この意味では、外傷的経験は実際の経験ではなくて、単なる空想の産物にすぎないともいえる。フロイトの意味での外傷的経験はあとから外傷としてつくりあげられる経験である。これを遡向(そこう)作用とか事後性という。彼は「ヒステリー症状は実際の記憶ではなく、記憶に基づいて打ち立てられた空想に由来している」と述べ、空想が主体にとっては心的現実であると主張した。いずれにしても、過去の外傷で現在の症状の病因を明らかにしようとすれば論理的には無理が生じてくるから、外傷的経験という概念は多義的な解釈をせざるをえなくなる。」
 文中に「事後性」という言葉が出てくるが、要するにトラウマのもととなる何かがどこかに刻印されていて、後になりそれがトラウマとしての意味を与えられる、という意味である。では何がどこに刻印されるか、ということになると、それは身体、ということになるだろう。
この事後性の概念は観念的でかなり分かりにくいが、このようにトラウマに結びつけると結構現代的な意味を帯びてくる。更にそれを解離との関連で考えると分かりやすい。トラウマは解離されたもう一つの心に刻印される。身体というわけでは必ずしもないのだ。