2018年7月23日月曜日

どうでもいい話

単なる雑感である。
あるところに論文を書いていて、査読でいろいろ指摘をされたのだが、考えさせられることが多かった。小此木先生が英文で書いているアジャセ・コンプレックスの記事があるが、それを論文中に引用したところ「アジャセについて書いた古沢先生の原著にあたっていないではないか!」と査読者からおしかりを受けた。確かにそうなので松木先生がお訳しになった古沢先生の論文を読んでみると、えー! 小此木バージョンと話が全然違っている!!! たとえば「母親を殺そうとして罰が当たったのか、アジャセはひどい臭いを発する皮膚病になってしまったが、そのジャセを許し、看病したのは、ほかならぬ母親だった」と小此木先生が書いてあるので、それを古沢先生の論文に探して確かめようとしたら、古沢先生はそんなことを書いていないのだ。逆に天国の父親(それもアジャセが殺したことになっているが)が自分を許してくれた、ということになっている。そこで精神神経誌に最近掲載された大宮司先生の論文を読むと、結局仏典のアジャセの話と古沢先生のアジャセの話と、小此木先生のアジャセの話がみんなかなり違う、ということが事細かに書かれている。そんな研究まであるんだ、と感心したが、結局誰を信じていいかわからない。(というよりはどの理論に基づいたらいいかわからない。)
 学問の世界ってこんなもんなんだなあ。