2018年7月22日日曜日

解離―トラウマの身体への刻印 3


本が来るまでの間、もう少し続けよう。
「あなたが秘密を守って情報を押さえつけている限り、あなたは自分自身との戦争状態になります。最も大事なことは、自分が知っていることを自分が知ることを許すことです。(ヘンな日本語だな。原文は、The critical issue is allowing yourself to know what you know.そうすることはとてつもない勇気がいります。」
“Mindfulness not only makes it possible to survey our internal landscape with compassion and curiosity but can also actively steer us in the right direction for self-care.” 
あれ、また出てきたマインドフルネス。「マインドフルネスは、私たちが心の中の景色を同情と興味をもって見渡すことを可能にするだけではない。セルフケアのために正しい方向へと舵を切ることを可能にしてくれるのだ。」

でもなんでこんなに人はマインドフルネスを理想化するのだろうか? 私がおかしいだけだろうか?
ちなみにトラウマが身体に刻印される、ということと解離は一緒のことだろうか? おそらくそのように考えてもいいのだろう。チビの話に戻る。チビはトラックに巻き込まれた街角につくと、へたりこんだ。チビはおそらくその場所に来たことを自覚的に思い出したのではない。というのもその場所が近づくにつれてそこを避けようとしたり、くるりと踵を返したりしなかったのだ。(チビはよくそういうことをした。散歩をもう少し続けたいときは、家の方向に向かう道に入っていこうとすると、クルリ、ということがよくあったのだ。)チビはその街角で突然事故のことを思い出し、あるいは自覚的には思い出さなくても、そこでの景色が飛び込んで来るや否や、自分でも何が起きているのかわからないうちにへたりこむ、ということで反応したのだ。これは体が覚えていたということになるだろう。しかしそこで起きていたのは、身体を支える筋肉への信号が絶たれた状態、「腰を抜かした」状態だったのだ。そしてそれは通常は運動神経の興奮が起きる際に、それに対する抑制がかかるという現象であり、それは基本的には解離症状、というわけである。ここのところ、もう少し説明が必要だろうか。
イップスのことを思い出そう。投球動作をすると、その途中で抑制がかかり、その結果としてボールは明後日の方向に飛んでいってしまう。通常は興奮すべきニューロンに抑制がかかる。これが実は解離の本質と言える。なぜなら「通常は統合されている心身の機能が損なわれる」一番の原因は、神経細胞の過剰な興奮か、あるいはその抑制ということになるが、通常は解離における陽性症状は、抑制の結果として二次的に生じるからだ。そこが神経の過剰な興奮による疾患、つまりそれに対する安定剤の作用が期待できる疾患である統合失調症と異なる点だからなのである。そして実はその抑制は、運動神経にも、感覚神経にも、そしてそれ以外のあらゆる精神活動にも生じる。その意味では、「トラウマは身体に刻印される」という言い方は不十分であり、「トラウマは精神、身体に刻印される」という方が勿論正しいということになる。