2018年7月21日土曜日

解離―トラウマの身体への刻印 2


こんなエピソードを思い出す。昔うちの飼い犬チビが交通事故にあったことがある。うちの近くを散歩中にひょんなことで舗道から車道に急に飛び出し、通りがかったトラックの下に巻き込まれ、すんでのところで重症を負ったり、命を奪われたりするところだった。幸い足の関節を脱臼しただけで助かったチビは、その後再び散歩に出られるようになった。ところが同じ散歩コースをたどっていたチビは、事故があった街角に差し掛かると、ヘナヘナとそこにへたり込んでしまったのだ。どうやら「体が覚えて」いたようで、しばらくは立てなくなり、もうその散歩コースは避けるしかなくなってしまった。
人のケースよりはこのような場に出しやすいのでチビの例を借りたが、トラウマの記憶はこのような形で心に残りやすい。あるトラウマが起きると、それを思い起こさせるような刺激で、体の反応が再現される。もっといえば「心」はそれを思い出していなくても、である。つまりそのトラウマのことを心のレベルでは「思い出した」という実感がなくても、なのだ。
ここでわかりやすいスキーマを示す。これは実際にVDKさんが1980年代の論文で示し、大いにトラウマを扱う臨床家を啓発したのだ。
「記憶のうちエピソード記憶の部分は海馬が非エピソード記憶の部分(身体感覚、情緒反応など)は扁桃核がつかさどる。トラウマ記憶の場合は、扁桃核が強く刺激され、それが海馬の抑制を生み、エピソード自体の想起を難しくする。したがってトラウマ記憶のフラッシュバックは、身体感覚のみとなる。」