2018年6月4日月曜日

解離の覚書 2

ネットワークと他者性
  極めて重要なのは、ある体験が自己由来のものか、他者由来のものかについて、私たちはその弁別を行う極めて優れた能力を有しているということである。おそらくこの問題は、知覚と表象の区別とも関係しているが、まあそれはさておき。なぜこの問題が重要かといえば、DIDにおいてはある声が、思考が他者のものか、という感覚は決定的なものだからだ。
  少し思考実験である。自分の右手と左手を互いに握ってみる。特に不思議な印象はないだろう。ところがもしそれを他人の手としたらどうか。気持ち悪い、照れくさい、嬉しい、などと様々な情緒を生むであろうが、それは相手が他者であるということを想定しているからだ。この場合どちらがより自然な体験なのか。おそらくより自然なのは他者の手と接触しているという感覚である。それがその生命体にとって生存を保証する可能性が高く、また回避行動をより効率良く行わせるであろうからだ。すると自分の手を合わせる際にはある種の抑制が働いていることにある。自分が自分を触っているのだ、ということを知らしめるような、あらゆる情緒反応を抑制するような仕組みが備わっていることになる。すると解離においては、これが抑制を受けているということだろうか?
  もう一つは、なぜ一定のネットワークが他者性を帯びるのか、という問題である。イップスの場合、人は外側から強制的に力が加わる、あるいは抜けるという体験をする。つまり能動性が欠如するわけであるが、そもそも能動感とは、ある意図を持って信号を送る、命令を下す、という主観的な体験により体得されていく。もしある信号がどこからか聞こえてきて、体が勝手に動いたらどうなるか?人は操られていると思うだろう。
では後催眠暗示はどうか?その場合、「〇〇のことが起きたら、✖️✖️する」(例えば術者が手を叩いたら立ち上がりドアの方向に歩いていくなど)という暗示はあらかじめ催眠をかけた他者からの言葉により与えられる。催眠が解けて手を叩く音を聞いた時にドアの方向に歩いていく人は、大抵それを不思議に思うのではなく理由を付ける。その場合他者性は感じられていないのであろう。そしてこれは分断脳で起きることと類似している。左脳が右脳の行動に理由をつけるときは、大抵はそこに違和感は感じられていない。このように私たちの脳は意外なほどに、他者由来のものを取り込み、自分のものにしてしまう。統合失調症なども幻聴の内容を信じ込む傾向は、むしろこの同化傾向の過剰さを表しているのである。そしてそれとの対比で実に不思議なのが、解離における他者性の出現なのである。
なぜこれが生じるのか。
しつこいようだが、ある考えを持つ場合、それが実はAさんの意見であって自分のそれではない、ということを私たちはどうやって理解しているのだろうか? ある種のタグ付けがなされているということかもしれない。あたかも免疫学で、他者由来の臓器には抗原抗体反応を起こしてしまうような仕組みに似たものが、思考や表象にも生じているのだろうか。
  ある体験を構成するのは、ネットワークの同時発火である.これは同期化かも知れないが確証はない。もしHebb則が正しいのであれば. 同時に発火することは目りがAさんをまとまったイメージとともに体験するのは、それぞれが同期するから.Aさんの顔と声のイメージは同期するように定められている。おそらく同期化だけではなく、周波数も定められている。そう考えると.それぞれの人格が個有の周波数を持つことで説明ができるだろう。
人格達のふるまいは明らかに異なるネットワーク活動の共存ないしは混線がおきている。なゼなら自我障害が見られないから。共存の例として,体の一部かモザイク状に感じなくなる。