2018年6月7日木曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 16


第10章    トラウマと精神分析 (1)
           
はじめに

精神分析はかつては米国を中心にその効果を期待され、広く臨床現場に応用されていたが、現在は全世界的に退潮傾向にあるといわれる。しかし幸いにも我が国においては、精神分析における治療理念は期待を寄せられ、また時には理想化の対象になる場合もある。筆者は精神分析学会とともに日本トラウマティック・ストレス学会にも属しているが、トラウマを治療する人々からも精神分析に対する「期待」が寄せられるのを感じている。それは以下のように言い表すことが出来るだろう(岡野、2016)。
  •    精神分析はその他の心理療法に比べてもより深層にアプローチし、洞察を促すものである。
  •    トラウマに関連した症状が扱われた後に本格的に必要となるプロセスである。
  •    精神分析のトレーニングを経た治療者が、分析的な治療を行う事が出来る。

 しかしこれらの期待は現在の精神分析に耐えうるものなのだろうか? それを本章では考察したい。
 
伝統的な精神分析とトラウマ理論

ここで精神分析家としての私は、多少なりとも自戒の気持ちを持って次の点を明らかにしなくてはならない。それはフロイトが創始した伝統的な精神分析は。残念ながら「トラウマ仕様」ではなかった、ということである。すなわちトラウマを経験した患者に対して治療を行う論理的な素地を十分に有していてなかったということだ。それを説明するうえで、精神分析の歴史を簡単に振り返る必要がある。
フロイトは1897年に「誘惑仮説」を撤回したことから精神分析が成立したという経緯がある。その年の9月に Wilhelm Fliess に向けて送った書簡(マッソン編、2001年)に表された彼の心がわりは、精神分析の成立に大きく寄与していたと言われている。単純なトラウマ理論ではなく、人間のファンタジーや欲動といった精神内界に分け入ることに意義を見出したことが、フロイトの偉大なところで、それによって事実上精神分析の理論が成立した、ということである。この経緯もあり、伝統的な精神分析理論においては、トラウマという言葉や概念は、ある種の禁句的なニュワンスを伴わざるを得なくなった。
その後のフロイトは、1932年の S. Ferenczi による性的外傷を重視する論文に対しては極めて冷淡であった。Ferenczi の論文の内容はフロイトが1897年以前に行っていた主張を繰り返した形だけであるにもかかわらず、フロイトが彼の論文を黙殺したことは驚くべきことである。彼はまた同様に同時代人の Pierre Janet のトラウマ理論や解離の概念を軽視した。このようにして精神分析理論トラウマには、フロイトの時代に一定の溝が作られてしまったのである。
精神分析の立場からトラウマ理論に対して一種の失望の気持ちを持っていることはこの様な経緯を考えればある程度仕方のないことなのかもしれない。たとえば著名な精神分析家の藤山氏は、以下のように書く。
「・・・プレ・サイコアナリシスというか精神分析以前、「ヒステリー研究」の頃のフロイトの考えでは、患者はどちらかというと環境の犠牲者なんです。これは例えば最近のハーマンなどの外傷をやっている人たちの理論と非常に近いんですね。つまり人間の心の病気というのは、心的外傷に基づいているものだという、そういうことになってしまいます。・・・」

(すごく長い章なので、あとは省略)