2018年6月6日水曜日

精紳分析新時代 推敲の推敲 15

第9章 治療の終結について問い直す
― 「自然消滅」としての終結

心理療法の終結、中断、あるいは「自然終結」(松木 邦裕その他編集(2016)心理療法における終結と中断 (京大心理臨床シリーズ)創元社に所収)

本章では治療の終結について論じる。終結をいかに迎え、処理するかは精神分析ではかなり重要な問題として論じられる。それは分析治療が首尾よく行われたかどうかの一つの大きな指標とも考えられる傾向になる。私は本章でそれについて本当にそうであるかをもう一度問い直すことにする。

臨床経験はドロップアウト体験から始まる

そもそも治療はなぜ終了するのか。その答え自体はシンプルである。患者の側に治療に来るだけの動機付けがもはやなくなるからである。ちなみにここで私は「終了」と言った。単に終わること、という意味で、ここにはもちろんさまざまな終わり方が含まれる。それが目標をある程度達成した上で、しかるべき手順を踏む形で生じれば、それは通常は「終結 termination」と呼ばれる。そしてそれが患者の側から一方的に、しかも本格的な治療が始る前にもたらされる場合には、「中断 interruption」ということになる。ただし私には後者は「ドロップアウト」という表現の方がなじみがある。「ドロップアウト」はする側にもされるに側も、失敗、望ましくない形で生じたこと、というニュアンスがある。治療者の側には、一度は担当することになったはずのケースが手からすり抜ける(「ドロップ」する)無念さという印象を伝える。場合によっては胸が痛み、トラウマにさえなる「ドロップアウト」の体験は、実は初心の治療者が経験を積む上での出発点でもあるのだ。
ところで、そもそもケースがドロップすることなく、きちんとした終結が迎えられるケースは、どの程度存在するのだろうか? もちろん治療者により異なるであろうが、米国の少し古いメタアナリシスは、心理療法のドロップアウト率として47%という数字を伝える(Wierzbicki,1993)。もしそうであれば、ビギナーの場合には、一旦治療が開始された患者がドロップアウトの末に三分の一残れば、それで上出来ではないか。
最近の研究はドロップアウト率として20%前後という少し安心する数字を挙げている(Swift, 2012が、臨床現場にいると、心理療法の初回面接に訪れた人の半分以上は、やはりドロップアウトしてしまうという印象を持つ。特にほかの臨床家から紹介されたのではなく、広告などを見て直接カウンセリングを求めてやってきた人のドロップアウトはかなり高率で生じる。「カウンセリングとはこういうものだろう」と想像していたものと実際の雰囲気とがあまりにかけ離れているために失望してしまうのだ。

(すごーく長い章なので、以下省略)