2018年5月17日木曜日

精神分析新時代 推敲 80


新無意識を絵にかいてみる

問題の本
本章の最後に、再び最初に述べた心無意識の概念について論じたい。「新無意識New Unconscious」という名前を関した著書が在ることには触れた。(Bargh Eds.) The New Unconscious.  Oxford Press.2006) これを紐解けばわかるとおり、たくさんの論者が、最新の脳科学に依拠した様々な議論を寄せているのだが、実はこれを読んでみても、ニューアンコンシャスとは何ぞや、ということは残念ながらどこにも明言されていない。各章を担当する著者が、新しい脳科学的な知見が精神分析的な概念に与える影響を寄せ書きしているという感じであり、全体の統一はあまり取れていない。そこで私があえて新無意識を絵にするとこんな感じになった。ここではフロイトの心の構造のモデルとの対比で描いてある。
これらを見比べていただければ分かるとおり、フロイトの意識と無意識はかなりはっきり分かれている。フロイトの図では意識の範囲が非常に大きい。ところが新無意識では非常に広い範囲(図の赤い部分)が無意識であり、意識のエリア(上のほうの青い部分)は本当にわずかである。何しろ最近では意識はワーキングメモリーと同等に扱われるくらいだが、そうなると、たとえば7ケタの数字、自分の知らない電話番号を忘れないように何度も繰返して唱えているだけでいっぱいになってしまう。コンピューターのRAMスペースならギガ(10)バイトの単位なのに、人間の意識(ワーキングメモリー)は数バイトというなさけない大きさである。昔のクジ引きで八角形の箱をガラガラとハンドルで回してポンと玉が出てくる様子を覚えているかもしれない。意識とはあの玉の出口ぐらいの広さだと私は考える。要するにそれ以外の大部分が新無意識であり、そこから箱の中のカオス的な運動の結果として意識野に送り出されてくるのが意識内容、というニュアンスである。
この絵の青色の意識部分の周辺を、私はいわゆる「カオスの縁」と考えるが、ここで様々な表象が先ほどのダーウィン的なプロセスでもって浮かび上がってくる。メロディーにしても小説のストーリーにしてもここに浮かび上がってくると考えるしかない。そこで★印をたくさん描いて雰囲気を出しているわけだ。