2018年5月16日水曜日

精神分析新時代 推敲 79

 脳科学者ジェフ・ホーキンスの「考える脳、考えるコンピューター」(ランダムハウス講談社、2015年)という本には、パーセプトロン的な大脳皮質の働きが雄弁に説明されている。それによれば、大脳皮質に入ってきた情報は自動的に処理されていき、感覚入力を処理する際に、予測と異なる情報だけが上位に伝わる。例えば通勤途中で街角で車が赤信号に差し掛かって停止するというシーンを見ても、それは予測どおりのことがおきただけであるからほとんど意識されず、その結果として記憶にもとどまらずに忘れ去られていく。ところが、赤信号なのに車が止まらずに交差点に突っ込んできたシーンに出くわした場合は、それは予想外のこと、驚くべきこととして上位に伝わる。この新しくて最後に脳のどの部位に至るかというと、記憶を司る場である海馬なのだ。つまり大脳皮質の最上位の情報は海馬に流れていき、そこで記銘されるのだ。今本書の読者に、一年前に自宅から職場までの間に起きたことを思い出してくださいと言っても全く不可能であろう。ところが一年前のある日の通勤中に、横断歩道で誰かが倒れているのに遭遇したのであれば、その日のことはおそらくかなり明瞭に記憶に残っているはずだ。また大脳の最上位には扁桃核も位置していることになる。予想外のことが起きてびっくりしたり怖かったりしたら、それは同時に扁桃核をも興奮させ、その感情部分も記憶に残る。
 少し大脳皮質の説明にそれてしまったが、ニューラルネットワークとディープラーニングの問題を繋げて説明しよう。まずニューラルネットワークをきわめて複雑にしたものがディープラーニングシステムと言っていいであろう。入力層と出力層があり、その間に膨大な層が存在する。ニューラルネットワークでは、入力層に入ったインプットと出力層から出るアウトプットが正解に近いように、中のネットワークの重みづけが変更されて行き、正解に近づけることが出来る。そして大脳皮質もおそらく類似した構造であろうという説明をした。ではこの場合何がインプットであり、何がアウトプットだろうか? たとえば赤ん坊が目の前のもの、たとえば哺乳瓶を捉えようとする。その場合は視覚的な情報がインプットだ。そしてアウトプットは自分の手の動き(手の運動を司る筋肉運動)ということになる。もし哺乳瓶に向かって手を伸ばさずに、たとえば右側に行きすぎると、そのアプトプットは誤り、あるいはやや誤りと判断される。そしてそれを繰り返すうちに、哺乳瓶の視覚情報は、確実にそれを捉えることが出来るような手の動きを指示する出力を行うことが出来る。すると赤ん坊はこの運動に熟達するにつれて、もう哺乳瓶を見て手を伸ばすという運動を、「考えずに」出来るようになる。当たり前になり、ルーチン化した運動はもう精神的なエネルギーを用いることはない。そして脳は、まだ新しくて、それに慣れていない体験について、それを記憶し、それに対するエネルギーを注ぐだろう。そしてここに先ほどの海馬、扁桃核が関与してくる。それはある意味では大脳皮質というディープラーニングシステムを使いこなす、さらに上位の中枢の存在を示しているであろう。
そう、人間の大脳は、単なるディープラーニングを行うのではなく、それをより効率よく行うような仕組みを備えていることになる。
私はこれ以上の解説をここでは控えるし、それを行う能力もないが、脳の仕組みの少なくともその一部には、ディープラーニング的なシステムが組み込まれていることはある程度説明できたのではないかと思う。(絶対出来てないって !!!)