2018年4月20日金曜日

精神分析新時代 推敲 60


スペクトラムという考え
そこで私は精神療法の強度のスペクトラムという考えを提示したいと思います。要するに精神療法には、密度の濃いものから、薄いものまで様々なものがありますが、どれも精神療法には違いないという考え方です。私と一緒にやはり30分セッションをしていただいている7人の心理士さんたちの気持ちも代弁しているつもりです。
 このスペクトラムには、一方の極に、フロイトが行っていた「週6回」があり、他方の極に、おそらく私が精神療法と呼べるであろうと考える最も頻度の低いケース、つまり3ヶ月に一度15分が来ます。大部分はこの両極の間のどこかに属するのです。その横軸を、仮に精神療法の「強度」とでも呼びましょう。一番左端はフロイトの週650分の強度10の精神分析です。通常の450分は、強度8くらいでしょうか。週一回は強度4くらいになるでしょう。左端には、私の患者Aさんの、3か月に一度15分が来るでしょう。これを強度0.5としましょう。(フロイトは、なぜ週6回会うのかと問われて「だって日曜日はさすがに教会に行く日だから会えないだろう」と答えたと言います。つまりフロイトにしてみれば週7回が本来の在り方だったのかもしれません。それを強度10とするならば、週4回は強度8くらいにしておかなくてはなりません。)
私が言いたいのは、強度は違っても、それぞれが精神療法だということです。その強度を決めるのは、経済的な事情であったり、治療者の時間的な余裕であったりします。患者の側のニーズもあるでしょう。一セッション3000円なら毎週可能でも、一セッション6000円のカウンセリングでは二週に一度が精いっぱいだという方は実に多いものです。あるいは仕事や学校を頻繁に休むことが出来ずに二週に一度になってしまう人もいます。その場合二週に一度になるのは、その人のせいとは言えないでしょうし、二週に一度なら意味がないから来なくていいです、というのも高飛車だと思います。
私は週4回のケースを持っていますし、週5回の分析を受けたこともありますので、この場でこのスペクトラムを話す権利を得ていると言ってもいいでしょう。そうでなければ「週4回のセッションを実際に受けたり、行ったりしないで、何が言えるのだ!」と言われてしまうでしょう。私はもともとバリバリの精神分析志向の人間ですし、分析のトレーニング中に、特別発注の、当時2000ドルしたカウチも所有しているくらいですから。
このスペクトラムの特徴をいくつか挙げておきます。おそらくその強度に関しては、一般的な意味では時間的な頻度が低下するにつれて弱まって行きます。ただしそれはあくまでもなだらかな弱まり方です。つまり、私はたとえば週に4回と3回で、あるいは週1回と二週間に一度で、あるいは週一回のセッションが45分と35分とで、それこそ越えられないような敷居があるとは思えません。私のメンタリティーに変わりないし、そこには決まった設定、治療構造のようなものが保たれていると考えています。私は精神分析は週4回以上、ないしは精神療法なら週1回以上、という敷居は多分に人工的なものだと思います。そうではなくて、左から右に移行するにしたがって、強度が低まり、それだけ治療は、ほかの条件が同じなら効果が薄れていく。やっていて物足りないと思う。そして俗にいうところの深いかかわりは起きる頻度も少なくなっていくでしょう。それはそうです。何しろ四輪駆動が軽になるわけですから。でも繰り返しますが、軽でも行けるたびはあるわけです。