2018年4月19日木曜日

解離の本 20


5.構造が揺さぶられる事態への対処
 
治療構造というものは決して不動なものではなく、治療者や患者の都合により動かしたり、患者さんの事情で揺さぶられたりするものです。そしてそれは治療の初期には限りません。治療が進んでいく中で、患者さんの心の様々な部分に潜在していた様々な記憶が活性化すると、様々な感情が湧き、そのたびに治療構造が揺り動かされることがあります。
 患者さんによる治療構造の揺さぶられの一つの典型は、治療者への依存心の高まりです。最初は遠慮や警戒心もあり、主人格が節度を保ち時間枠を守ろうとしているにもかかわらず、そのうち様々な感情を出すことが出来るようになった結果として、治療者に近づきたい、甘えたい、もっと一緒にいたいという気持ちが高まることがあります。すると面接の終わり近くになると子供の人格になり、退室することをしぶる傾向が見られたりします。また治療の半ば近くになりようやく表現でき始めた過去の外傷的な体験が、終了時間に近づいてもおさめられないこともあります。特に面接時間を一回50分に設定することが出来ず、30分で終了しなくてはならない治療構造では、このような問題は半ば必然的に起きる可能性もあります。さらには治療者のふとした不用意な言葉がきっかけとなり、攻撃的な人格や退行的な人格が表れて暴走し、面接が時間までに終われなくなることもあります。そうした事態への対処として、言葉によって表現されない欲求や感情について取り上げることも有効です。交代人格の行動を通して、主人格が自覚できないでいた情緒への気づきを促す方法です。しかしそれを治療構造内で行う余裕がなくなってしまう場合も、少なくありません。

子ども人格をもつカリンさん(40代女性、会社員)
カリンさんは真面目で礼儀正しい女性でしたが、面接の終わりが近づくと必ず子どもの人格が現れて泣き、予定通りセッションを終われない日が多くなりました。ある時治療者は部屋にあった人形を使い、泣き止まない子ども人格をあやそうとしました。何度かそれを試すうちに、子どもの人格は人形を手に取るようになり、自分の気持ちをその人形に語らせる遊びを始めました。人形遊びを通して、カリンさんの子ども時代の様子が再現され、家庭内に起きた出来事が治療者にも理解できるようになりました。
人形遊びが続いていたある日、主人格であるカリンさんが面接に来た途端、それまで思い出せないでいた子どもの頃の辛い体験が蘇ってきたと打ち明けました。そのまま激しく泣き続けました。そしてその日のセッションの終了時間は大幅に遅れてしまいました。しかしこの時の苦しさについて治療者と話し合った後、子どもの人格は表れなくなりました。その後カリンさんの面接が進み、時々子どもの人格が現れて大事なことを話しましたが、以前のように泣くことはなく、しっかりした態度で自分の考えを話すようになりました。

このカリンさんの例では治療者が子ども人格の気持ちをなだめる行動に出たことが、結果的に人格の情緒的解放を促進し、進展のきっかけをもたらしました。しかしそこには一時的な治療構造の揺さぶりや破綻が生じたことも注意すべきでしょう。つまり治療構造が安定に維持されることと治療が進展することは、お互いに両立しないこともあるのです。そしてこのことは、治療構造を守るということが独り歩きして、あたかも一つの治療目標のように扱われてしまうことの危険も教えてくれています。構造を安定させることは非常に大切ですが、それをかたくなに守ることとは違います。柔構造による建築物のように、変化を受け止めて、「しなる」ことで、いわば動的な安定性を発揮することが重要です。たとえば10分遅れてきた患者さんに、5分の延長を提供すという努力もそうです。患者さんの心の不安定さにもかかわらず、いつもと同じに近い体験が出来た、と患者さんが思えることが大切なのです。ただし10分遅れた分を治療者の側が取り戻そうとしたことで、当然治療者にもストレスが加わります。それを治療者の側がことさら患者さんに隠す必要はありません。いわば患者さんの側が失ったコントロールを、治療者が一緒に受け止め、できるだけリカバーをする、という共同作業の体験に意味があると考えてください。