2018年4月11日水曜日

精神分析新時代 推敲 53



シャルコーの影響下にあって催眠を学んだフロイトは、ウィーンに戻ってから催眠を用いてヒステリーの治療をおこない、ヒステリーの性的外傷説(性的誘惑説)を唱えた。フロイトは「ヒステリーの病因について」(Freud,1986)で、自らが扱った18例のヒステリー患者全員に、幼児期の性的な誘惑という形でのトラウマがあったと述べている。しかしその翌年には、この説を放棄し、その後精神分析理論を打ち立てることとなった。フロイトがやや唐突な形で行ったこの方向転換の経緯は、その後Jeffrey Masson(1984)という野心的な精神分析家により、ややセンセーショナルに報告されたことで物議をかもしたことは知られる。
  Masson
は、フロイトは実はヒステリーがトラウマにより生じるという考えを捨てたわけではなかったが、それにより精神分析が社会から受け入れられなくなることを恐れて取り下げた、と論じた。このMassonの見解は賛否両論を呼んだが、そこで問題とされた性的なトラウマの記憶の信憑性をめぐる議論は、現在においても常に再燃する傾向にある。ちなみにこのフロイトの性的外傷説(性的誘惑説)については、筆者はそこに誘惑する子どもの側の加担を想定しているという点で、本当の意味での外傷説ではなかったと考える(岡野,2009)。
 解離とトラウマとの関連性に関する議論を進めた点で、やはりJanetの功績は非常に大きなものであった。Janetは解離性の人格交代を示す患者に関する詳細な記録や観察を行い、現代でも通用する解離の理論を残した。彼は解離がトラウマと深い関係にあるとしながらも、フロイトのようにトラウマ記憶の回復を主たる治療手段とはしなかった。またフロイトに見られたような、性的外傷に全てを帰するという理論には批判的であったという(Brown, et al, 1998)。トラウマと解離の関係について、Janetは「トラウマ後のヒステリー」と「トラウマ後の精神衰弱」という分類をおこなっている。前者は記憶が解離しているのに対して、後者では記憶は意識下にあり、繰り返し強迫的に回想される傾向にあるという。またJanetは彼が解離の陽性症状と呼ぶものについて、特にトラウマに関係しているとし、またトラウマの強さと持続時間により、人格の断片化が増すと考えた(Brown, 1998)。しかしJanetが治療で目指したのは、フロイトが試みたようなトラウマ記憶への直接的な介入ではなく、あくまでも人格の統合を目指したものであった。
構造的解離理論の立場 
ここに述べたジャネの理論を基本的に踏襲しつつ、最近新たに理論的な展開を試みているのが、いわゆる構造的解離理論の立場である。いわばジャネ理論の現代バージョンというわけであるが、この理論についても簡単にみてみよう。Onno Van Der Hart, Ellert Nijenhuis, Kathy Steele 3人はジャネの理論を支柱にして、解離の理論を構築した(van der Hart,2006)が、その骨子は、人格は慢性的なトラウマを被ることで構造上の変化を起こすというものである。健常の場合には心的構造の下位システムは統合されているが、トラウマを受けることでそこに断層が生じる。それにより心的構造は、トラウマが起きても表面上正常に保っている部分(“ANP”)と、激しい情動を抱えた部分(“EP”)に分かれるとする。そしてトラウマの重症度に応じてそれぞれがさらに分かれ、人格の構造が複雑化していくと考えるのである。
 彼らの主著「構造的解離理論」(van der Hart,et.al, 2006)はかなり精緻化された論理構成を有する大著であるが、そこで問題となっているトラウマは、結局は明白な「対人トラウマ」(以下に記述する)いうことになる。彼らは解離性障害をトラウマに対する恐怖症の病理であるととらえているが、そのトラウマとして挙げられているのは性的、身体的外傷、情緒的外傷、情緒的ネグレクト(無視、放置、育児放棄)である。そしてそれらを知る上でのツールとして彼らが第一に用いるのが、「トラウマ体験チェックリストTraumatic Experiences Checklist(Nijenhuis, 2002)というものだが、これは上に列挙したトラウマが、いつの時期に、どれほど続いたかを記入するといった形式をとる。その前提となっているのは、やはり明白なトラウマの存在が解離の病理を引き起こしているという「常識」であると言わざるを得ない。
DIDと幼児期のトラウマとの関係
1970年代になり解離性障害が注目されるようになって以来、解離性障害の研究や治療に携わってきたエキスパートたちは、その原因として、幼少時の性的ないし身体的虐待などのトラウマを唱える傾向にあった。Richard Kluft, Colin Ross, Frank Putnamなどはその代表者である。彼らの研究によれば、DIDの患者の高率に、性的、身体的虐待の既往が見られるという。最近の欧米の文献ではこれらのトラウマやネグレクトを合わせて「対人トラウマinterpersonal trauma」と表現するようになってきているので、本章でもこの用語を用いることにする。対人トラウマが解離性障害の原因である、というとらえ方は、以降精神医学におけるひとつの「常識」となった観がある。(ちなみにこの概念と、以下に述べる筆者自身の概念である関係性のトラウマrelational trauma との混同には注意が必要である。)
1980年代にDIDの研究のカリスマとして登場したKluftはいわゆる「4因子説」1985を提唱した。それによると第1因子は、本人の持って生まれた解離傾向であり、第2因子は対人トラウマの存在、第3因子が「患者の解離性の防衛を決定し病態を形成させるような素質や外部からの影響」であり第4因子は保護的な環境の欠如ということである。すなわち Kluft の理論では対人トラウマがDIDの原因として重要な位置を占める。また Braun と Sachs によるいわゆる3 P モデル(1985)でも、準備因子、促進的因子、持続的因子のうち促進的因子として親からの虐待等が含まれる。さらにロスの四経路モデルもよく知られるが、それらは児童虐待経路、ネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路であり、そのうち中核的な経路である児童虐待経路が対人トラウマに相当する。このようにこれらのエキスパートの論じた成因論には対人トラウマが解離性障害の主たる原因として登場するが、母子間の微妙な感情的、言語的なズレから来るストレスについての言及はなされていないのである。
解離性障害の原因は愛着障害なのか?

ところで最近になり、上記の解離性障害に関する「常識」にある異変が起きている。解離性障害の病因として患者の生育環境における母子関係の問題が最近検討され始めているからだ。特に親子の間の情緒的な希薄さやミスコミュニケーション等を含んだ愛着の問題が注目されているが、この問題はこれまで主流であった対人トラウマに関する議論に隠れてあまり関心が払われずにいた。昨秋日本を訪れたパットナムもその講演の中で養育の問題が解離に与える影響について何度か言及していたのが記憶に新しい。
 解離性障害と愛着障害を最初に結び付けて論じたのはPeter Barach (1991)とされる。彼は養育者が子供をネグレクトしたり、情緒的な反応を示さなかったりした場合に、その子供は慢性的に情緒的に疎遠となり、それが解離に特有の無反応さemotional unresponsiveness に結びつくと論じた。
 Giovanni Liotti は子どもが情緒的な危機に瀕した時に、愛着反応が活性化されるという視点を提供している(1992,2009)そしていわゆる「混乱型愛着」がDIDに幼少時に見られる傾向にあること、そしてその幼児期の混乱と将来の解離がパラレルな関係にあるという説を提唱した。Liottiによると、不安定で混乱した「タイプDの愛着により、自己と他者に関する複数の内的なワーキングモデルが存在することが、DIDの先駆体となるという。これは Bowlby (1973) が述べた、養育者の統合されていない内的なワーキングモデルが子供に内在化されるという議論を引き継いだものであった。
 このLiotti の研究を継承したのが、Ogawa(1997)らの大規模な前向性の研究である。この研究は高リスクの子供126人を19歳になるまで追跡調査した。すると混乱型愛着と養育者が情緒的に関われないことが、臨床レベルでの解離を起こす最も高い予測因子となっていたという。またそれに比してトラウマの因子はあまり貢献が見られないという結果も得られたという。
 解離性障害の形成される過程を愛着の視点から検討することは、これまでの明白な対人トラウマにより解離性障害が起きるという「常識」からは大きく外れることになるが、それは以下に筆者が提唱する関係性のストレスの問題とはむしろ近い関係にある。
解離と「関係性のストレス」
解離性障害が明白な対人トラウマ以外の出来事にも由来するという可能性については、筆者は以前から注目していた。特に解離性障害の患者の幼少時に見られる母親との情緒的なかかわりが大きなストレスとなっているケースに注目し、筆者はかつて「関係性のストレス」という考えを提出した(岡野、20072011)。つまり明白なトラウマ以外にも、幼少時に親子関係の間で体験される目に見えにくいストレスが、解離の病理の形成に大きくかかわっているという視点である。このテーマについて簡単に解説したい。
 「関係性のストレス」という概念の発想は、筆者のわが国と米国の双方での臨床を通して得られた。患者を取り巻く家庭環境が、両国ではあまりに異なるという印象をかなり以前から持っていたのである。米国の場合には、精神科に受診する女性の患者の非常に多くが、実父ないしは継父からの性的虐待を被っているということが半ば常態化してきた。それは日常の臨床で女性患者の病歴を取る際に歴然としていた。そして筆者はそれが渡米前に数年間持った日本での臨床経験とはかなり事情が異なるのではないかという疑問を抱いた。それでも日本に同様にDIDの存在がみられるとしたら、それは何か別の理由によるのではないか、と考えたわけである。しかしそのような印象は筆者の日本での臨床経験の浅さにも起因しているのではないかとも考えた。
 2004年に帰国してから筆者が出会った日本のDIDのケースの多くは、筆者のそのような印象を裏付けるものだった。実父、継父、祖父、兄からの性的虐待のケースは数多く聞かれたが、また多くの患者はそのような性的虐待の経歴を有していなかった。父親はおおむね家庭において不在であり、そもそも娘との接触を持つ機会や時間が極めて制限されていた。そしてその分だけ母親は家で子供と取り残され、そこでお互いに強いストレスを及ぼしあっていたのである。そこにはまたわが国における少子化の傾向も関係しているように思われた。
 そしてこの問題についてさらに考察を進めるうちに、筆者は「母親の過剰干渉」対「子供の側の被影響性」という関係性のテーマに行き着いた。日本における「関係性のストレス」とはある意味での母娘の関係の深さが原因であり、そこでは母親が娘に過剰に干渉することと、娘が母親からの影響に極めて敏感であることという相互性があるのではないか、と考えたのである。つまり米国における対人ストレスのように、加害者である親と被害者である子供という一方的な関係とは異なり、日本的な「関係性のストレス」は、まさに関係性の病理と言えるのである。そして親子の関係の中でも特に母娘にそのような関係性が見られることは、DIDが特に女性に多く見られることを説明するようにも思われた。
 そこでこの「関係性のストレス」において、特に娘の側の心に何がおきているのかを、力動的に考えてみた。そしてそれを「娘の側の投影の抑制」と理解した(岡野、2011)
 DIDの病理をもつ多くの患者(ほとんどが女性)が訴えるのは、彼女たちが幼い頃から非常に敏感に母親の意図を感じ取り、それに合わせるようにして振舞ってきたということである。彼女たちは自分独自の考えや感情を持たないわけではない。むしろ持つからこそ、母親のそれを取り入れる際に、自分自身のそれを心の別の場所に隔離して保存することになる。そしてそれが解離の病理を生むと考えられるのだ。
 彼女たちが自分の考えや感情を表現したり、それらの投影や外在化を抑制したりする理由の詳細は不明であり、今後明らかにされるべき問題であろう。ただし何らかの仮説を設けることもできる。一番単純に考えた場合は、娘の主観的な思考や感情が母親のそれと矛盾するということそのものが、娘に心的ストレスを起こすのであろう。その意味ではGregory Batesonの示したダブルバインド状況(1962)が、実は解離性障害を生む危険性に関連していたということになる。この問題については、実は安克昌がかつて指摘していたことでもある。
 この関係性のストレスの概念は、先述の愛着障害とも深い関連を有することは説明するまでもないであろう。両者は用語の違いこそあれ、類似の現象を言い現わしている可能性がある。愛着という現象が乳幼児の行動上の所見から見出されるものであるならば、その心理的な側面に焦点を当てたのが、この関係性のストレスということが出来る。そして愛着の障害が母親と子供の双方の要因が関与しているのと同様、関係性のストレスも両者の関与により成立することになる。ただし愛着が幼少時に限定されるのに比べて、関係性のストレスは子どもが成長しても、また成人してからも観察される可能性があるという点が特徴といえるだろう。現にDIDの患者の多くはいまだに母親とのストレスに満ちた関係を継続しているという点は、筆者が直接係わった患者の多くから得られた所見であった。