1. 治療契約を結ぶ
解離性障害に限らず、心理療法を始める患者さんは治療の目的を患者さんと共有し構造を設定し、協力関係を築いていくために。治療契約を結ぶことが奨められます。と言っても法的な拘束力を持つ契約書、というよりは治療におけるルールや約束事を記したものを治療者の側が説明し、患者さんに読んでいただき、サインをしていただくという形を取ります。心理療法の記録の最初のページに、この契約書(患者さん側にも一通コピーをお渡しします)が綴じられているのをよく見かけます。
解離性障害の患者さんの場合にもこのような治療契約を結ぶことが奨められますが、この時に注意すべきなのは、誰と契約するのかという点です。というのも治療を有意義なものとするために、契約を結ぶのに最も適切な人格を知る必要があるからです。大抵は複数の人格の中の誰かが、主人格にとって必要であると判断し、情報を集めたうえで治療を受けるための行動を取ろうとするものです。ただし治療を望むその人格が、最初の出会いで治療者の前に表れるとは限りません。
すでに数人の交代人格の存在を自覚している患者さんでは、治療を通して自分が変化することに不安を覚えている場合もあります。人格の働きに助けられている患者さんの多くは、その存在が消されるのではないかという恐れを抱きます。交代人格の活動性が高まった結果として、主人格は「自分が消えてしまう」ように感じ、「自分がいなくなればいい」と考えてしまうこともあります。主人格が治療を求めていても交代人格がそれに賛同していないと、面接に別人格が現れて治療を妨害し、治療者の真意を探ろうとします。この場合も、誰と契約を結ぶのかという問題が起きます。
解離性同一性障害の治療では、それが正式に始まってしばらくして、それまで全くであったことのない人格がセッションに訪れることもあります。その人格にはおそらくこれまでの治療の経緯を説明したうえで、新たにラポールを形成する必要が生じます。その人格と新たな契約を結ぼうと考えるよりは、別の人格が以前契約を結んだことを伝えたり、それを示すことにそれなりの意味があるでしょう。
この様に考えると、治療契約を最初の面接の際に、急いで取り交わすことにも是非があることが分かります。時にはこの種の契約は治療者の側が早く正式に治療を始めたいという焦りの表れであったりします。解離性障害はそのケースとしての興味深さから、治療者が治療を始めることを強く望み、それが患者さん側に警戒の念を抱かせる原因にもなります。場合によってはそのような事情も考えたうえで、治療の構造を大まかに説明したうえで、大体の点での了解を口頭で得て、それを記録に残すという形にとどめる必要もあるでしょう。正式な治療契約の文書を交わすのは、もう少し治療関係(ラポール)が定まってからであってもいいでしょう。