トラウマ仕様の精神分析理論の提唱
以下にトラウマに対応した精神分析的な視点を提唱しておきたい。私はそれらを以下の5点として提示する。
1.
トラウマ体験に対する中立性
2. 「愛着トラウマ」という視点
3. 解離の概念の重視
4. 関係性、逆転移の視点の重視
5. 倫理原則の遵守
第1点は、トラウマ体験そのものに対する中立性(岡野、2009)を示すことである。ただしこれは決して「被害者であるあなたにも原因があった」、「加害者にも言い分がある」、ではなく、「何がトラウマを引き起こした可能性があるのか?」、「今後それを防ぐために何が出来るか?」について治療者と患者が率直に話し合うということである。治療者がこの中立性を発揮しない限りは、トラウマ治療は全く進展しない可能性があるといっても過言ではない。
第2点は愛着の問題を重視し、より関係性を重視した治療を目指すということである。その視点がこの「愛着トラウマ」に込められている。フロイトが誘惑説の放棄と同時に知ったのは、トラウマの原因は、性的虐待だけではなく、実に様々なものがある、ということであった。その中でもとりわけ注目するべきなのは、幼少時に起きた、時には不可避的なトラウマ、加害者不在のトラウマの存在である。臨床家が日常的に感じるのは、いかに幼小児に「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」というメッセージを受けることがトラウマにつながるかということだ。しかしこれはあからさまな児童虐待以外の状況でも生じる一種のミスコミュニケーションであり、母子間のミスマッチである可能性がある。そこにはもちろん親の側の加害性だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならない状況である。
新外傷性精神障害 岩崎学術出版社、2009
第3点目は、解離症状を積極的に扱うという姿勢である。これに関しては、最近になって、精神分析の中でも見られる傾向であるが、フロイトが解離に対して懐疑的な姿勢を取ったこともあり、なかなか一般の理解を得られないのも事実である。解離を扱う際の一つの指針として挙げられるのは、患者の症状や主張の中にその背後の意味を読むという姿勢を、以前よりは控えることと言えるかもしれない。抑圧モデルでは、患者の表現するもの、夢、連想、ファンタジーなどについて、それが抑圧し、防衛している内容を考える方針を促す。しかし解離モデルでは、たまたま表れている心的内容は、それまで自我に十分統合されることなく隔離されていたものであり、それも平等に、そのままの形で受け入れることが要求されると言っていいであろう。このトラウマと解離の文脈については後の章( )でさらに詳しく論じることにする。
第4点目の関係性、逆転移の重視については、患者がいわゆる関係性の重視は、患者がいわゆる外傷後成長(post-traumatic growth, PTG)(Tedeshi, RG, 2004)を遂げるかどうかを占う上でも重要となる。トラウマを体験した人との治療関係においては、それが十分な安全性を持ち、また癒しの役割を果たすことはきわめて重要である。トラウマを扱うための治療関係が患者に新たなストレスを体験させたり、支配-被支配の関係をなぞったりする事になれば、それは治療的な意味を損なうばかりではなく、新たなトラウマを生み出す関係性になりかねない。精神分析的な治療においては、患者の洞察やこれまで否認や抑圧を受けていた心的内容への探求が重要視されるが、それは安全で癒しを与える環境で十分にトラウマが扱われた上でこそ意味がある。外傷後成長は癒しの上にしか生じないのである。
もし治療者が患者が洞察を得ることを目指すことにばかり心を傾けることで、患者のトラウマ体験に対する共感やその他の支持的なかかわりをおろそかにすることは許されない。その意味では治療関係を重要視することは、そのまま治療者の逆転移の点検というテーマに直結するといっていいだろう。トラウマを受けた患者を前にした治療者は、しばしばそのトラウマの内容に大きな情緒的な影響を受け、それを十分に扱えなかったり、逆にそれらへの患者の直面化を急いだりする傾向が見られるが、いずれも治療者自身の個人的な情緒的反応が関係していることが多い。
Tedeshi, R.G., &
Calhoun, L.G. (2004). Posttraumatic Growth: Conceptual Foundation and Empirical
Evidence. Philadelphia , PA :
Lawrence
Erlbaum Associates.
第5点目の倫理原則の遵守については、もう言わずもがなのことかもしれない。特にトラウマ治療に限らず、精神療法一般において倫理原則の遵守は最も大切なものだが(岡野、2016)、ともすると治療技法として掲げられたプロトコールにいかに従うかが問われる傾向があるので、自戒の意味も込めて掲げておこう。
精神分析における倫理基準(American Psychoanalytic Association. 2007, 抜粋) では精神分析家の従うべき倫理基準として以下の点を掲げている。
1分析家としての能力 competence, 2患者の尊重、非差別, 3平等性とインフォームド・コンセント, 4正直であること truthfulness, 5患者を利用 exploit してはならない, 6学問上の責任, 7患者や治療者としての専門職を守ること, である。
1分析家としての能力 competence, 2患者の尊重、非差別, 3平等性とインフォームド・コンセント, 4正直であること truthfulness, 5患者を利用 exploit してはならない, 6学問上の責任, 7患者や治療者としての専門職を守ること, である。
岡野憲一郎 編著(2016)臨床場面での自己開示と倫理.岩崎学術出版社
最後に―トラウマを「扱わない」方針もありうる
最後に蛇足かも知れないが、この点を付け加えておきたい。トラウマ治療には、トラウマを扱わない(忘れるように努力する、忘れるにまかせる)方針もまたありうるということだ。トラウマを扱う(「掘り起こす」)方針は時には患者に負担をかけ、現実適応能力を低下させることもある。もし患者がある人生上のタスク(家庭内で、仕事の上で)を行わなくてはならない局面では、トラウマを扱うことは回避しなくてはならない場合も重要となる。治療者は治療的なヒロイズムに捉われることなく、その時の患者にとってベストの選択をしなくてはならない。そしてそこには、敢えてトラウマを扱わない方針もありうるということである。具体的には黒幕的な交代人格を扱わない、あるいは少し無理にでも「お引取りいただく」ということに相当する。DID治療の原則としての「寝た子は起こさない」(岡野)がこれに該当する。
この方針の妥当性については、ある意味では答えが出ている。ほとんどのDIDの患者について、非常に多くの交代人格が、実質的に扱われないままに眠っているからである。このような方針は、精神分析の文脈では北山の言う「覆いをつける療法」(北山、2009)に概ね合致するものと考えることが出来るであろう。
北山修(2009)覆いをとること・つくること-〈わたし〉の治療報告と「その後」.岩崎学術出版社