2.受け入れの段階
家族による協力の最初の段階は、患者さんが自らの意図やコントロールを越える形で別の人格に後退してしまい、その人格が新たな意識と記憶を持ち、それなりにまとまった行動を取る、という現象を家族に受け入れてもらうところから始まります。まずは家族が率先して、それらがDIDの症状であるという認識をもつことになります。
もちろんこの事実は人によってはとても信じがたく、受け入れがたいことです。心の問題を専門に扱う精神科医や心理士でさえこのDIDにおける心の基本的な性質を理解して受け入れる段階を超えることが出来ない場合が少なくないことからも、それは容易に想像できます。ましてや自分が育て上げ、自分の子供のことは自分が一番知っているという感覚を持つ親御さんにとってはなおさら難しいかもしれません。ただしおそらく後から振り返ってみれば、ときどき急に子供っぽくなったり、乱暴な口調になったりする様子をこれまでに目にしたことが多く思い出されるでしょう。しかしそれを大抵家族の方は、本人の気分の不安定さやわがまま、甘えなどと見なしてきた可能性があります。
そして実はそれに呼応する形で、患者さん本人にも自分のわがままや甘えがこのような行動を起こすものと信じ込んでいる場合もあります。実はそのようなエピソードは患者さん自身も記憶していない場合が多いのですが、自分自身に人格の交代が起きているということは、本人にも分からない、あるいは信じられないことが少なくないのです。そしてもっぱら患者さんたちは自分を責めることになります。そこには、患者さんが身の回りに起きた問題の原因のすべてを自分の責任と考える傾向も関与しています。彼らは物事が順調に運ばないことを「自分がもっとこうしていれば」「自分さえうまくやっていれば」など、自らの努力不足のせいにするのも、DIDの患者さんの思考様式の特徴です。障害に原因を求めるのは、自己責任を回避する甘えの態度と捉え、自己批判に陥ります。
そして実はそれに呼応する形で、患者さん本人にも自分のわがままや甘えがこのような行動を起こすものと信じ込んでいる場合もあります。実はそのようなエピソードは患者さん自身も記憶していない場合が多いのですが、自分自身に人格の交代が起きているということは、本人にも分からない、あるいは信じられないことが少なくないのです。そしてもっぱら患者さんたちは自分を責めることになります。そこには、患者さんが身の回りに起きた問題の原因のすべてを自分の責任と考える傾向も関与しています。彼らは物事が順調に運ばないことを「自分がもっとこうしていれば」「自分さえうまくやっていれば」など、自らの努力不足のせいにするのも、DIDの患者さんの思考様式の特徴です。障害に原因を求めるのは、自己責任を回避する甘えの態度と捉え、自己批判に陥ります。
患者さん本人がこうした考えをもつ背景には、家庭内の厳しいしつけや、両親の激しい感情表出が影響している場合が多いのですが、そのような両親の場合はなおのこと、虐待や外傷と結び付けられやすい解離症状が自分の子供に生じていることを認めるのは非常に難しくなります。そのような場合は、解離性障害という診断が下ったあとも家族が自覚のないまま患者さんを追い詰める行動を取り続ける場合があります。患者さんがまだ未成年などで、原家族のもとにとどまる必要がある場合には、治療者は患者さんの家族とも信頼関係を形成するために、家族の意向をうかがいながら理解を得るための工夫を重ねる必要があります。