2018年3月6日火曜日

精紳分析新時代 推敲 31

あるエピソード

 誤解を避けるために言いたいのであるが、私は精神分析における転移を軽視しているつもりはない。むしろ非常に大きなパワーがあり、治療者も患者もそれをうまく取り扱えない可能性があるために、慎重にならざるを得ないということを言いたいのである。転移の問題は、言わば治療場面で顔を合わせている当事者同士の関係性の問題と言い換えることが出来るが、それを扱うことには多大な緊張や不安が伴うのである。

この転移の持つパワーに関しては、私には一つの原体験というべきものがある。それはもう20年近く前、私が精神分析のトレーニングを開始したごく初期に、私自身の教育分析で起きたことである。ある日私は自分の分析家に、こんなことを話した。「先生は私と似ていると思います。先生はいつも何か手でいじっていて落ち着かないですね。この間は私たちの分析協会での授業をしながら、発泡スチロールのコップにペンでいたずら書きをしているのを見ましたよ。私も退屈になるといつも似たようなことをするんです。」これは私の彼に向けた転移感情の表現といえただろう。すると私の分析家は黙ってしまったのだ。それまで私の話にテンポよく相槌を打っていた分析家が急に無口になってしまったのであるから、私は非常にわかりやすいメッセージを受け取った気持ちになった。私は彼から「頼むから私の話はしないでくれ・・・・・。」という呟きを聴いた気がしたのである。思えば彼はシャイなお爺ちゃんだった。もちろんそのような言葉は彼の口からは出てこなかった。しかしそれ以降も、私は分析家との間で同様のことを何度か体験した。私が彼について何かを言うと、彼はあまり相槌を打たなくなったり黙ってしまったりするのである。
 (ちなみにこれを書いていて、守秘義務のことを一切考えなくてもいいことをありがたいと思う。何しろ彼は私の分析家であり、私のクライエントではなかった。(患者に、主治医に関する守秘義務などない。)第二にこれは遠いアメリカで、はるか昔に起きたことだ。第三に、私の分析家は当時すでに高齢で、10年ほど前に他界している。)
 もちろん普段の日常会話であるならば、話し相手の癖や振る舞いについて話すことは失礼なことだ。しかし精神分析に対する理想化が強かった私は、老練な私の分析家がそんな世俗的な反応をするはずはないと思い込んでいたので、この突然の変化をどう理解したらいいかわからなかった。それから5年にわたる分析の中で、私と分析家との間では様々なことが生じたが、その時の私には理不尽に感じられた彼の反応についての話し合いもかなり重要な部分を占めていた。

それから何年かして私は帰国し、日々臨床を行っているわけだが、今度は私が逆の立場を体験することがある。私の患者さんで私が書いたものを読んでいる方がいらして、その内容に関する話が出ることがあるのだ。「先生が書いてあったお宅のワンちゃんは最近どうしてますか?」とか、「先生の若い頃の対人恐怖の傾向はどうなっていますか?」などと尋ねられる。そのたびに私は少し複雑な思いをし、時には顔がこわばったり、また時にはうれしく感じたりするのだ。そして患者さんが転移感情について語り、私自身について言及するのを落ち着いて聞くことは決して容易ではないことを身をもって体験することになった。

転移がパワフルなのは、それが患者の口から語られた際に、その内容が否応なしに治療者自身にかかわってくるために他人事ではいられなくなるからなのであろう。そこで引き起こされる恥の感情や気まずさのために治療者自身が非常に防衛的になってしまい、場合によっては投影や否認等のさまざまな規制を用いてしまう可能性があるのだ。