2018年3月31日土曜日

解離の本15


(症例略)


トラウマ体験と患者さんの心理的な問題がどのように関連し、どんな経過を経てきたのか、本人と話し合いながら病歴を整理します。解離性障害の人は時間の感覚に障害をもつことが多く、個々のエピソードを時系列に整理できないことが多いものです。また事実を事実としては記憶していても、そこに情緒的な実感が伴っていないこともあります。治療者は把握している事実の隙間に浮かび上がる空白の期間に注目し、そこで起きていたかもしれない外傷的事態をある程度推測しながら、患者さんの心理状況の軌跡を辿る必要があります。
以下にトラウマ体験とその記憶が、解離とどのような関係を持つかについて説明します。
  

4-1.トラウマと交代人格の出現

非常にインパクトの大きいトラウマ的な出来事があると、それに関する記憶はある特殊な形で私たちの脳で処理されることが知られています。それがトラウマ記憶と呼ばれるものです。
通常の出来事なら、私たちはその事実関係の部分と、その時の感覚や感情の部分を一つながりで記憶します。例えばどこかに出かけた記憶は、そこで起きた出来事のうち言葉で説明できる部分(いつ、どこに誰と行ったか、など)と、言葉では十分言い表せない部分(何を見てどう感動したか、など)は繋がって思い出される仕組みになっています。ところがインパクトの強い体験では、この記憶のつながりが切れてしまい、いわば断片化した状態となります。
なぜそのようなトラウマ記憶が出来上がってしまうかについて不思議に思う方のために簡単に説明するならば、事実関係の部分は、海馬というところで処理されるのに対して、感情、感覚の部分は主として扁桃核というところで処理されるのです。そして通常は海馬と扁桃核は協力し合いながら、記憶の別々の部分を分担して処理するわけです。ところがあまりに出来事のインパクトが強く、恐怖、不快、不安などが強いと、この海馬と扁桃核の共同作業が妨害されてしまうわけです。 
トラウマ記憶は通常の記憶とはかなり異なる振る舞いをすることが知られています。例えばある出来事についての記憶が思い出されても、事実関係は思い出せても何の感情も生じない状態になる人がいます。記憶のうち感情的な部分が切り離されてしまっているからです。ところがその感情部分の記憶の断片が突然その人の心を脅かします。これがいわゆるフラッシュバックという現象で、その人は強い恐怖とパニックに襲われてしまいます。
さて、以上のトラウマ記憶の成立は特に解離性障害を持たなくても起きることが知られています。実はトラウマ記憶のうち、感情的な部分は記憶のメインな部分から解離され、すなわち心のどこかにいわば箱に入った形でしまわれていると考えられます。つまりトラウマ記憶はその成立に解離という現象を含んでいることになります。そしてその意味では通常の私たちも解離という心の働きが生じる可能性があるのです。ただし解離傾向が非常に強い人が子供時代にトラウマを体験すると、以上に述べたトラウマ記憶の成立より、もう少し深刻で大掛かりなことが生じます。それはトラウマ体験を持った人格そのものの解離、という現象です。いわばトラウマ人格の解離、とでもいうべき事態です。
解離傾向の強い子供が繰り返しトラウマ体験をこうむった場合は、いわばその体験を担当するような特別な記憶は、日常の意識から解離され、生々しいトラウマの情景とそれに伴う情緒体験を記憶する別の人格が誕生します。トラウマ人格はその体験に関する記憶を、事実関係に関する部分と感情的な部分とが分かれていない記憶として持っています。つまりそのトラウマ記憶をそのものとして受け取れる人格を心が作り上げてしまうわけですが、今度は主人格にとっては、その記憶は事実関係も含めてすっぽり自分の生活史の中から抜け落ちてしまうことになります。
これらの「トラウマ人格」は普段は内部に潜んでおり表に出ることはありませんが、何かのきっかけでトラウマ記憶が想起されると覚醒します。かつてのトラウマ的事態と似たような状況、すなわちトラウマが再現される事態が勃発した場合も同様です。よって面接中にトラウマ記憶が想起されたり、トラウマ状況と同じような体験の感覚を抱いたりすると、その場で人格交代が起こります。
人格交代に際しては、意識消失などそれとわかる変化が観察されることもありますが、時には治療者が全く気づかないうちに人格が入れ替わります。人によっては頭痛の訴えや瞬き、手足の動きなど、特定の体の部位に決まった動きがみられます。その態度や表情、言葉遣いの変化から交代人格の出現に気づいた時は、積極的に関わる姿勢をみせるのがよいでしょう。人格との出会いをどう迎え、交代人格たちとどのように交流を深めていくかが、その後の人格全体との信頼関係および治療の進展に大きく影響するといえます。

(症例略)

DIDの交代人格には、大きく分けて「トラウマ記憶から自身を守るために誕生したと思われるもの」と、「主人格が発揮できない機能を補うために出現したと思われるもの」の二種類があります。前者の年齢は当時のそれと一致することが多く、トラウマ体験の前後に生まれたと推測されます。例えばある交代人格は、性被害にあった時の年齢で当時の情景を克明に覚えていました。
トラウマ記憶をもつ人格が現れて恐怖を訴え混乱に陥った時には、安全と信頼の感覚を取り戻すための介入が求められます。感情を爆発させ、自傷など何らかの行動化が伴う際には、クールダウンや制止のための言葉をかけます。患者さんはトラウマの渦中の体験を「こんなことがあって辛かった」というようにまとまった概念や思考として心に収めることができず、恐怖、痛み、嫌悪、不快などの感覚と説明できない情動に圧倒されて苦しみます。彼らの生々しい情緒体験を治療者が言葉に換えて伝え、外傷的事態とつなげた理解を示し、体験の再構成を促します。この過程を通して安全な現実との連続性を取り戻した時に、我に返ることができます。こうした対応を繰り返すことで、トラウマ記憶の体験が過去のものとして次第に心に収まっていくと考えられます。

(症例略)