2018年1月4日木曜日

エナクトメント 1

しばらくエナクトメントについて考えることになった。頭の中はエナクトメントでいっぱいのお正月である。それにしても東京は好天が続き平穏である。今日は朝からお墓参り。だーれもいない霊園で線香をあげてきた。

 エナクトメントと言えば、私の頭の中ではやはりジェイコブスの名前が上がる。テッド・ジェイコブス。米国のフロイト派の分析家、ということになっているが、出自はクラシカルでも、どんどん考えを発展させていった人はたくさんいる。彼もその一人というわけである。久しぶりに、クラシックともなっている彼の論文を読んでみる。On Counter-transference Enactment. 1986 年の論文だ。そこに出てきたケースは省略するが、セラピストが自分の逆転移を微妙な形で言い表した例である。たとえば「ではとりあえずお話を伺いましょう」の「とりあえず」に、セラピストの自信のなさが表現されたというような例。
Theodore J. Jacobs (1986). On Countertransference EnactmentsJournal of the American Psychoanalytic Association, 34:289-307)
 
要するにあまり目立たない、微妙 subtle な逆転移に注意を払わなくてはならないという話だ。別に論文に書かれた彼のケースだからいいか。
非常に高名だが小柄な分析家(コフートのことだろうか)が、初めて訪れた、大男で強そうな患者を待合室で見つけ、一瞬威圧された後に、「まあともかくお入りください come on in, anyway」と言ったという。
  この論文は不思議で、エナクトメントという表現は3回しか出てこない。それも論文の半分頃になって、分析家は逆転移の中で昔の体験をエナクトする、といっている。それっきりで「微妙な逆転移反応」として説明するのみで、エナクトメントの言葉を定義していないのだが、例は挙げている。ほんのちょっとした頷き、ほんのちょっとした笑み、ほとんど聞こえない唸り声 grunt あいさつの表現のほんのちょっとしたバリエーションなど。「お疲れ様」
 しかしここで重大な参考文献があった。いわばIPA公認の用語集なのである。