2018年1月16日火曜日

パラノイア 推敲 7

パラノイアのこと、しばらく忘れていた。少しフロイトのことで書き足した。

フロイトのパラノイアはそのまま治療論にも表れているとみていいだろう。例えばドラの症例では、
「このようにして転移が私に不意打ちを食らわせた。そしてK氏のことをドラに思い起こさせた私の中の未知の性質のために、ドラはK氏に復讐したかったように私に復讐した。そして自分がK氏に騙されて捨てられたと信じていたように、私を捨てた。つまり彼女は自分の回想と空想の需要な部分を治療の中で産出する代わりに行動化したのである。」
とある。ドラのケースは様々な形で批判されたわけだが、フロイトは自分の治療の押しつけがましさによりドラに去られたにもかかわらず、自分を被害者扱いしている。これはかなり自己愛的な態度と言っていいだろう。自分は周囲から攻撃されるという理解は彼の人生にも、治療にも、そして理論にも一貫していたことになる。もうこれは「反転の論理」とでもいうべきものであり、究極の「開き直り」ともいえるのではないか?
佐々木承玄氏の「フロイトの症例ドラから考える逆転移の問題」(京都大学大学院教育学研究科紀要 (1999), 45: 67-83)から一部引用しよう。(下線は岡野が追加)

フロイトは「他人に対する一連の非難は,同様の内容をもった,一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を,それを語った当人に戻してみることこそ,必要なのである」297頁)と いう態度で分析を進める。そして,ドラの父への非難が同様の自己非難に裏打ちされていることを見出す。「しかし彼女[ドラ]自身,まったく同じことをしていたのである。彼女はこの事件において 共犯者であり,この関係の真の性格を示すあらゆる徴候を拒否していたのである。」つまり,ドラも,父とK夫人の交際をできるだけ助けるようにもしていたのであり,また,いくつかの話か ら,ドラはK氏を愛してもいたのであり,自分とK氏との仲がうまくいくようにも取りはからっていたのだと推論する。「事柄を自分自身の恋の情熱に都合のいいように処理してしまった,と いう非難一彼女が父に向けてはなった,この非難は-そのまま,彼女自身に送り返されてくることになった。」(299頁)フロイトは,このような点,方法を鍵として,患者の分析を深め,徐々に意識化を促していく。フロイトが述べたこの言葉は少なくともある程度は真実であり,また妥当な方法であるとも思われる。 が,ここに決定的な盲点がある。「自己非難から自分を守るために,他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方には,否定できない自動的なもの(etwas unleugbar Automatisches)がある。その典型は,子どもの『しっぺ返し』に見られる。すなわち,子どもたちを,嘘っきとして責めると,即座に,『お前が嘘っきだ』という答えが返ってくる。」(297頁)この節で述べてきたようなことは,フロイトが言うように「自動的に」そうなってしまうことであり,治療者自身にも全くあてはまってしまう。「自分の場合には感情的抵抗のために認識できない関連性を,他人の場合には認識できるということが,患者には極めて通常に起こることである」というフロイトの言葉を引用したが,これは患者のみならず,治療者にも「極めて通常に起こる」点が盲点である。ここに現れている問題が,抵抗や転移・逆転移などにおいて最も根本の問題であると思われる。フロイトの技法論が画期的であるのは,この問題を見据えていることであると筆者は思っている・・・。

でもこれは大問題でもある、と言うのが私の意見である。そしてこれはまたPIの多用という問題にも通じるのだ。