2018年1月14日日曜日

愛着理論と発生論 やり直し 3

2.愛着理論の歴史とその発展

これまでに発生論の中にも後の愛着理論と深いつながりを持つものがあることが示された。ここで振り出しに戻って John Bowlby Spitz らによりその基礎が築かれていた愛着理論そのものについて振り返っておきたい。愛着理論は彼らの貢献により、精神分析の歴史の初期より存在し得ていた。それはフロイト自身の著作の中にその多くのヒントが与えられていた (Emde, 1988)。しかしそれにもかかわらず、精神分析の歴史の中では、愛着理論は長い間傍流として扱われていた。これは精神分析理論の多くが乳幼児期の心性を扱っていたことを考えるならば、実に不思議なことと言うべきであろう。そのひとつの理由は、愛着理論がフロイトや Klein の分析的なモデルを用いることのない、独自の方針を打ち出したからと言えるだろう。Bowlby は乳幼児を直接観察し、その実証データを集めることから出発した。それは分析理論に基づいた発生論的観点、すなわち幼児の内的世界を想定し、それを理論化した Klein Anna Freud とは全く異なるものであった。彼女たちがフロイトの欲動論を所与として出発したのに対し、Bowlby は実際の乳幼児のあり様から出発した。そこには愛着理論の提唱者が一貫して表明する傾向にある、一種の反精神分析的な主張である。例えば Bowlby はかなり舌鋒鋭く以下のような批判を行っていた。
「精神分析の伝統の中には、ファンタジーに焦点を当て、子供の現実の生活体験からは焦点をはずすという傾向がある。」(Bowlby, 1988, p.100) この批判は現在の関係精神分析の論者の言葉とも重なるといえよう。
20世紀後半になり、英国でBowlby に学んだMary Ainsworth が画期的な実証研究を行ない、Mary Maine Robert Emde らによリひとつの潮流を形成するに至って、愛着理論は精神分析の世界において確たる地位を築いたと言えるだろう。しかしなぜそれは精神分析の本流とも言うべき諸理論からは一定の距離を保ったままであるとの観を抱かせるのであろうか?