2018年1月25日木曜日

愛着理論と発生論 やり直し 10

ペシミスティックな「最後に」を書きなおした。

4.さいごに - 愛着理論に基づく発生論
 
これまでに発生論について概観し、それとは性質の異なる独自の発展をたどった愛着理論について述べた。ここで改めて考えなくてはならないのが発生論と愛着理論の関係性であり、両者の融合の可能性である。そこで改めて両者を見比べた場合、一つ明らかなのは、精神分析的な発生論の一部は、精神分析理論への根拠を提供した後、理論的な成熟に至り、更なる進化を遂げているとは言えないことである。フロイトの分析理論の中でも転移の分析、行動化、反復強迫、陰性治療反応などの概念の臨床上の重要性は失われてはいないが、リビドーの発達段階への固着といった生成論的な理解は、それ独自の理論的な展開を見せることなく、逆に臨床上ますます聞かれなくなっていると言えるだろう。またたとえば Klein の妄想分裂ポジションと抑うつポジションの理論や投影同一化の概念はその後のKlein 派の理論の支柱であり続け、その根本的な概念の枠組みにそのものに手が付けられたわけではない。他方ではすでに見たように、Winnicott Kohut の提示した発生論は、ごく自然な形で愛着理論に融合したとの観がある。
発生論と愛着理論の関係についてもう一つ明らかなのは、愛着理論はそれ自体が学派を超えた進化を遂げ、脳科学的な研究とも融合し、今後精神分析的な枠組みをますます超えた形で発展する傾向にあるということである。そして愛着理論の成果がひるがえって精神分析的な理論へと応用される傾向が見て取れる。ただし愛着理論そのものが目指す傾向にある実証主義やエビデンスの重視、実際の母子関係への応用などは、精神分析が本来持つ無意識の重視や精神内界におけるファンタジーや欲動への重視と微妙に、あるいはあからさまに齟齬をきたす可能性がある。精神分析の流れの中でも関係精神分析の流れにおいては、愛着理論の取り入れやそれの臨床への応用には積極的なようである。しかしその立場に疑問を抱き、本来の精神分析とは異なるものとして距離を置く立場もある。筆者は冒頭で「本来あるべき姿としての発生論、すなわち愛着理論に基づく発生論」と述べたが、逆説的な意味で、それは精神分析理論の土台を揺るがす可能性があるとは言えないだろうか? 愛着理論の発展が、今後の精神分析の展開を促すか、ある種の分裂を生み出すかは予断を許さないであろう。